2009年1月16日金曜日

養育

 
 「この家は私の家だから、子どもが親に無断で勝手なことをしてはいけない。」アメリカでよく聞かれる言葉です。

 先日、アメリカの大学進学について、親が教育費などを出す義務があるわけではないと書きました。社会通念として、親が子どもを養育する義務は18歳までと簡単に説明しましたが、分かっていただけたでしょうか。それは、なにも進学にかかる費用だけでもないんです。
 私のアメリカの友人で、共働きするサラリーマン家庭の例を一つ。16歳になった息子は、手に入れた車(アメリカは車社会で必需品)をとても大事に乗っていました。その車を購入する時の親子の会話。
「いくらくらいか、調べてみた?」
「1800ドル~2500ドルくらい」(注:中古車価格)
「どれくらい貸してあげればいいの?」
「貯金は取っときたいから、できたら全額」
「返済は大丈夫?」
「スタバのアルバイトで半額は1年で返せるから、できたら家事を手伝わせて。床みがきとランドリーを時間給5ドルでどう?」
「床みがきに3時間、ランドリーで2時間で1週間に1回25ドル、月に100ドルの返済になるわね。OK、それでいいわよ。」
「ありがとう」

 子どもは小さい頃から、家庭の経済を支えているのは親で、子どもはその親に養育されていると考えます。双方にこのカルチャーがあるため、このような経済感覚での会話が成り立ちます。親子間だけでなく、社会でこの考え方が通念となっています。

 携帯電話やゲーム機など、子どもの必需品が日本にはあふれています。安い品物ではないはずですが、それらの一つを誰でもが持っているように思える社会。自分が汗して手に入れた物なら大事に使いもするのでしょうが、与えてもらって当たり前の物だったとしたら、どうでしょう?

 あらゆる意味で豊かな国、日本の将来を担う候補生の子ども達に、大人たちは何を伝えていくのでしょうか。
  

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