2008年12月5日金曜日

はじめてのおつかい?

  
  昨日は30年ぶりに、「はじめてのおつかい」らしき経験をしました。
 
 以前、「追跡」という番組の中に、「はじめてのおつかい」というのがありました。番組が終了したいまでも、これだけは特集として放映されるほどの人気らしい。子どもが生まれて初めて、お母さんの代わりに「おつかい」を果たすというものなんですが、その番組の概要を調べてみると、次のような記述がありました。
 おつかいの中で様々に発生するトラブルなどを通して、子供の自立を応援するだけにとどまらず、親子関係のあり方や教育におけるあり方などを視聴者に改めて考える機会も提供する。子供達の奮闘ぶりには、毎回ゲストも涙する人気番組。親から離れると、泣き出す子供がいたり、買うものを間違えたり、個数を間違えたり、兄弟げんかが必ず起こったり、買い物が出来なくて泣く所も見どころ」

<はじめてのおつかい>
 高校の頃の私に家で数学を教えてくださった先生が、「英語好きが集まった」とおっしゃるグループで、「英会話」の練習を続けられています。先生から、「そのグループの皆にアメリカの話を聞かせて」と言われていました。
<様々に発生するトラブルなど
 具体的な話になってみると、「英語でやってほしい」というメール。desktop(卓上のPC)の前で、冷や汗物の変な予感が。恩師からの「お申し出(おつかい)」ですが、私の英会話は小学生以下、プレゼンも一人でどうかなるかしら?という程度です。率直に「先生、日本語にしましょうよ」と、懇願(!)メールで返信。
 
<子供の自立を応援するだけにとどまらず、親子関係のあり方や教育におけるあり方などを視聴者に改めて考える機会も提供する。
 ここで、夫の話へ。 
 三女が高校を卒業した時点で、「子育てが終わった後の『自分のやりたいこと』を考えなさい」と、夫が頭の痛い話をし始めたんです(!)。文字通り、母親の役割だけに拘ってきたあまり、「わたくし」となると、いざ何をしたいのかさっぱり思いつきません。そこで夫が、「アメリカに来て子育てで苦労している人のために、何か書いあげたら?」と、ある新聞の片隅に経験談を書く機会を作ってくれました。その後、夫が発行する教育情報誌や私個人のブログ・サイトを作ってくれても、「何か、ちがくない?」 不遜にもそんなことを思いながら何となく暮らし、えっ?と思えばあれから10年。
 こんな私も、興味を覚えたことは何でも試したがり、どんどん海外へも出かけたりと、若い頃はかなり行動派だったのです。それが、30年近い年月を主婦として過ごすうちに、自分ひとりで行動することにまったく馴染まなくなっていました。 こんな調子で惰性に流されながらの毎日に、突然舞い込んできた話。先生から私個人へのお話だけに、自分で決断してお返事しなければならなくなってしまいました。

<子供達の奮闘ぶり
 それからの4日間は、プレゼンの原稿作りに必死。横で「何してるの?そんなの要らないよ。」という人もいるし。「あなたは慣れてるから 。いいからもう "Leave me alone!"」次女に添削を頼むと、「心配しなくてもお母さん英語は上手だから。100%文法があってなくても意味は通じるし、なかなか面白い内容だから大丈夫よ。」それどころじゃない状態なのに、肝心な添削は返ってこず。ほめられたのかどうなのかさっぱり分からないコメントだけで、反って不安が増長。それはもう、人を頼るな!ということでしょう。出たとこ勝負でいくしかありません。「腹をくくって舞台に臨みます」と、一人芝居をして自分を奮い立たせましたが、どうなることやら。

<親から離れると、泣き出す子供がいたり、買うものを間違えたり、個数を間違えたり、兄弟げんかが必ず起こったり、買い物が出来なくて泣く
 原稿を懐に会場へ。「私ごときの英語をお聞かせするのはいかがなものか」と、胸がドキドキします。そうは言いましても事は滑り出していますから、逃げ出すわけにはまいりません。次女がアドバイスしてくれたとおり、「かっこつけずに」ありのままにやるのみと。やはりといいますか奇跡は起こらず、何でもない語彙が思い出せずにつまずく、文法といえば案の定まちがえる、原稿を手にしていながらも読み飛ばす、といった調子で穴ぼこだらけ・・・。
 
<子供達の奮闘ぶりには、ゲストも涙する。>
 当初、夫も私について来るつもりだったようです。私から詳細を聞くと「良かった、よかった、よく頑張った。記念すべき日だね。」と、電話の向こうで喜ぶ声。今まで、何度「おつかい」を頼んでも動かなかった私に、辛抱強く付き合ってきた夫自身もこれからは、妻離れ(?)できるでしょう。
 
 30年前の渡米が、私にとってとてつもない「おつかい」だったような、そんな気がします。
 

2008年11月29日土曜日

親も親として


 よわい1歳にして、ナルちゃんが逆切れしたそうです。

 何をしても天使のように愛らしいナルちゃんですが、最近は、自分の気に入らないことをされると、反抗することもあるらしい。姪は今頃の母親らしく、それを「逆切れ」と表現します。それはさておき、今まで見せたことのない顔は、一体どんな状況で表れたんでしょうね。
 どうもナルちゃんは、玄関に並べられた靴に興味があるようです。先日、おとなしく靴で遊んでいたのを、触らせないように姪が「あかんよ」と止めさせたところ、邪魔しないでと「逆切れ」に及んだようです。たまにしか会わない子どもですが、1歳の赤ちゃんとはいえ、すでにその気質の一端を見て取れるのですから、さもありなん。
 今、ナルちゃんのお気に入りは、ディズニー製品の「カタカタ」(今の時代、この表現はいかがなものでしょう?)で部屋中を歩き(走り?)回ることです。マンションの間取り図は、真ん中に長い廊下があり、その両側に部屋などが配分されています。ナルちゃんはそれの廊下と多角目的用の部屋、そしてリビングの範囲を行ったり来たり。そのルートには角や家具もあり、いまだしっかり歩けない赤ちゃんでは、カタカタをあちこちぶつけても仕方ないように思います。ですが、ナルちゃんはどこにもぶつかることがないので、「もしかして自分でコントロールしている?」と母親に聞いてみますと、「そう言われてみると、机の下や狭いところへもぐりこんでも、頭をぶつけたことがないから、そうなんかな?」 言葉は悪いのですが、もしかして慎重居士?
 今日は、マトリョーシカ風に作られたプラスティック製の容器に、スプーンを使って食べ物を入れたり出したりしているつもりなのでしょうか、飽きることなくまねごとを繰り返していました。また、ひざに乗せて絵本を読んでやりますと、お気に入りページがあるのか、何事かをつぶやきながら、しばらくは開いては閉じるという自分だけの世界へ。集中力があるのか粘り強いのやら?何かに気を取られると、大人が声をかけても耳が聞こえなくなってしまうナルちゃんですから、靴遊びを強制終了させられて、言葉の代わりに行動で「切れて」意思表示して見せたのでしょう。
 ずい分、意味を持った行動をするようになっています。人は環境によって人格が形成されていくといいますが、ナルちゃんの生まれ持った気質も確かにあるようですから、姪もそろそろ「未知との遭遇」に対応しなければならなくなってきたようです。
 
 唐突な話ですが、そう言えば「あなたの方が子育ては上手かも」と、夫に育児を任せたくなったことがあります。いつも一緒にいるわけでもないのに、自分の子どもの取る行動やその理由などをよく理解していて、年齢に関係なく一貫して冷静に対処していました。
 子ども自身の希求から一つの行為を始めたなら、止めなければいけないことは自分で止めるところに意味があるのでしょう。それなら、やり始めた事をやり終えるまで、どうするのかしばらく傍で見守る寛容さが必要です。多分、子どもに対応する時の夫の基本的な姿勢が「ワン・クッションおく」といわれる行為で、見守るための寛容さだったのです。
 「ワン・クッション」という魔法の言葉を記憶しておいて、必要な時には使いましょう。そうすることで、子どもの行動パターンや傾向が継続的に見えてくるはず。

 私自身は、3人の子どもを夫と共に育て上げましたが、初めての子どもは他の子どもとは、育て方が少し違っていたと思います。子どもだけでなく「親」も成り立てですから、経験値はゼロ。子どもの様子を見ながら、日々、一々が勉強です。そうしてしばらくして、ようやっとお互いが慣れてきます。親だけではなく、子どもも親の育て方に慣れてくれるのですから。
 子どもが何を見て、聞いて、話して、行動するのか、長い時間をかけて付き合ううちに、子どもに対する経験値が上がってきます。そうなってくると、子どもの気質を損なわずに育てようとします。子どもの気質を損なわない行為は、人格の形成と繋がります。その過程で、子どもばかりでなく親自身も、自分の人格を作り直すことになっていきます。
 
 子育ては、親も親となるよう育っていってこそ成り立つもの。

人格と性格について:
 感情面の個性は気質という先天的傾向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格とよばれる。性格とよくにた言葉に人格があるが、人格には社会的もしくは論理的な内容が含まれており、性格より範囲が広い。


2008年11月22日土曜日

鼻水


 あまりきれいな表現でなくて、ごめんなさい。ナルちゃんが鼻水をたらしました。

 数日前から、神戸も木枯らしが吹いて、空気にも本格的な冬のにおいを感じます。毎週1回、ひ孫のナルちゃんちへお邪魔するのが楽しみな実家の母。つい最近、そのナルちゃんが鼻水をたらしていたらしく、久しぶりに訪れた実家で、その話題で盛り上がりました。母は「鼻水」が気になって仕方がありません。これから冬が厳しくなっていきますから、風邪を引かさないかというのが心配らしい。姪に「寝床が悪かったのかなあ」で始まり、ナルちゃんの着る物や暖の取らせ方など、いろいろ知恵を授けたいらしい。姪のまわりには、子育てを経験した女性は母を除いて私しかいませんので、つい「いくら完璧と思っていても、鼻水をたらす時はたらすし、風邪を引く時は引きます。その程度で身体を慣らしておくのは、かえって必要かもね。」と、つい口に出してしまいました。
 ナルちゃんですが、まだ2、3歩あるく程度で、今は家の中にいることが多い子です。あと2年もすると幼稚園へ行くのでしょうが、そこは集団で生活する場です。そうなると否も応もありません。病気に限らず、他の子どもからいろいろな影響を受ける環境が待っています。

 姪の住まいは最近建てられたばかりのマンションで、その構造は、母が私達姉妹を育てた頃の住宅とはまったく機能がちがいます。気が付いただけでも、建物玄関口のセキュリティシステムと2人の警備員が24時間勤務、室内は広々としていて、機密性が高く、フローリングの床は暖房機能付き、お湯はセントラル形式の瞬間湯沸しなど、普通に暮らす人たちの条件を十二分に満たしているように思います。寝具も羽根やら羽毛やらで出来た布団にくるまれ、それでも鼻水が出るのは、寝ている間に布団を蹴飛ばしてゴロゴロするからでしょう。風邪が心配なら、しっかりした生地の寝巻きでも着せたらすむ程度のこと。「お母さん覚えてる?私達が小さい頃は、あってもせいぜい湯たんぽで、暖房機器がないからあの冷たいシーツが温まるまで大変な思いをしながら寝てたわ。それでも、風邪なんてほとんど引かなかったし、そのおかげかどうかは分からないけど、この年になってもめったに引かないわよ。」
 そんな話をしていると、変な方向へどんどん話題がそれます。学校へ行っている頃は、「女の子はスカートでストッキングもはかせてもらえなかったし、ごわごわするから制服の中にセーターも着れなかった」とか、「丈の長いコートも禁止で、寒さに震えた」などなど。寒い思いをしたことは覚えているのですが、風邪を引いたことがあるかどうかは、記憶にないのです。専門家ではありませんが、私達は多分、身体自体が体温調整していたのではないでしょうか。 
 母にすればたかが「鼻水」の話をしているつもりでしょうが、私がどんどん知ったふうな口を利くことで、収拾がつかなくなってきました。私も母も、自分達の育った時代を振り返ってのやりとりです。今の時代は住環境すら私達のそれとは違うのですから、姪自身の育て方を体得したほうが、ナルちゃんのためにはいいんじゃないでしょうか。ナルちゃんに「よくない経験はさせない」ことが、本当にナルちゃんにとっていい事かどうかは、その問題によっては疑問です。家で出来る経験はなるべくたくさんさせることで、新しい環境にソフトランディングできるはずだと思うのです。
 
 私自身の子育てを振り返ってみると、海外での子育てだったため、夫を除いて母のようなアドバイスをする人が、身の回りにまったくいませんでした。情報も経験もないことが反って、子どもに教えられることになり、親として育てられてきたのだと感じます。姪は今、ナルちゃんの様子を見ながら、一緒に育っている途中なのですから、そばで見守ることが寛容というもの。私が母に一つ言えることは、子どもが違えば親も違うように、子育ては人それぞれに違うはず。それさえ分かっていれば、理解してもらえると思うのです。

 それでも「理屈はいいから。ナルちゃんが鼻水をたらさないような方法を考えてあげないと」と、一蹴されました。私は母からすると、まだまだ「洟垂れ(こぞう)」のようです。

 

2008年11月17日月曜日

ロボット革命


 私の価値観を大きく変えた「ロボット革命」という番組がありました。

 我が家にはテレビがないので、久しぶりに母の家で日本の番組を見ました。そのテレビを見て思い出したことがあります。15年くらい前の話なんですが。その当時、週末になると日本語の教育という名目で、子ども達と一緒に貸しビデオを見ていました。その一つに「NHK特集・ロボット革命、一体今なにが?(記憶違いかもしれません)」があり、センセーショナルな題名だというだけでなんとなく借りたのです。見終わったとたん、頭の中は「あかんやん、想像できへんわ」という声で一杯でした。将来、一体このロボットは、世の中でどんな役目を果たすの?と。
 私の世代で「鉄腕アトム」を知らない人はあまりいないでしょう?この番組は、ある大学でのロボット作りを「革命」として、アトムの実現を予想させるような内容になっていたのです。対象物を1秒で捕らえられる目を持ち、まだひざを曲げるまでには至らずとも階段を上ったり、近い将来には走ることも可能なことを示唆する歩行するロボット。バッテリーさえ縮小化が実現すれば、人間と変わらない能力を持つロボットの実現も夢ではない、と言っていたのです。そして3年前、私はホンダのASIMOのデビューを目にしました。
 この番組を見た意味は大きく、それまでの私の子育ての考え方を変えさせました。

 かつて「アポロ11号月面着陸」という歴史的な出来事が、日本のテレビでも放映されたのを、覚えていらっしゃいますか。私も家族と一緒に、ニール・アームストロング船長が月面に第一歩を踏み出した映像を見ていたんですが、母が突然、「これ、作りもんちがうの?」とおっしゃった(!)。家族からあっけにとられた目で見られて、冗談だと言い訳していましたが。母にそう言わせるほどの「信じられない」出来事だったのです。なにせ、一生涯でただ1回、プロペラ時代のYS11に乗っただけで大騒ぎした人ですから。
 このアポロ宇宙船から40年たったASIMOの登場まで、世の中の科学的な変革は至るところに見られます。コンピュータという魔法の機器の出現は最たるものです。コンピュータが現代社会で果たしている役割は大きく、これがない生活は想像もつきません。ある日、水中でテニスをしているコマーシャルを見て、「水の中でもすごいスマッシュ打ってる!」と言いましたら、「お母さん、それCG(computer graphics)だから」と言うではありませんか。その頃、CGという言葉もコンピュータが作り出す虚像だということも、子ども達に教えられるまで知りませんでした。それがあまりにも本物らしく作られていたために、素晴らしいと感じるより反って、ちょっと怖いなあと思ったものです。
 将来は、ロボットもこれと同じように、人間社会に不可欠な物になるのでしょうか。そうすると、人と人との間の共存ばかりでなく、ロボットとの共存が謳われる時代が来ないとも限らないということです。まるで、小さい頃に読んだマンガの世界が、日々、現実化していくのを実感します。これらを身近にしながら育つ子ども達に、将来、一体どのような影響を与えていくのでしょうね。
 技術ばかりでなく経済の世界でも、庶民の感覚とはかけ離れたことが、私達のまわりで頻繁に起こっています。それらすべてを把握することは難しい時代です。40年前の母の姿は、私には「世の中の動きが見えていない」状態に写りましたが、現在の私がまるでその当時の母のようで、それをはっきり自覚しています。
 
 この「ロボット革命」を見るまでは、私の過去の経験や価値観からイメージされた子育てをしていたのだろうと思います。そして、それを知らず知らずのうちに、そのまま子どもに移譲していたようです。私の価値観は、私が生きている時代の価値観で、子どもの未来の時代には何の役にも立ちません。価値観そのものを分け与えるよりも、どんな時代や社会に生きようと、「世の中を見渡すアンテナを立て、虚実を見分ける判断力を身につけ、どんなことにも自分で対応する」ような、こども達自身の価値観を培えるようにすることこそ大切。そう考えるきっかけとなったこの番組は、私のバイブルの一つです。

 

2008年11月16日日曜日

言葉づかい


 言葉づかいって、大切ですよね。

 今年2度目の旅行で、しばらくこちらを留守にしていました。留守にする前、姪の子どもが無事、満1歳の誕生日を迎えたのですが、たまたま夫も日本滞在中で、かわいい盛りのナルちゃんと楽しい1日を過ごしました。それはもう、愛らしい顔で笑うし、やんちゃはするしで、後期高齢者の親族のハートをノック・アウト。そのナルちゃんを独り占めして、うちの旦那様は何を思ったのか、繰り返し"one, two, three・・・"とカウントしながら、指の折り方をまねさせるんです。教えることが大好きなんですよ。でも、なんで英語なの?日本語でいいと思うんだけど。さあ、ナルちゃんもそろそろ、言葉を覚え始めます。

 わが夫は娘達には、厳しく家庭内での英語を禁じ、日本語の使用を徹底させたんです。その子ども達ですが、家庭での日本語教育だけではなく、現地校が休みの土曜日には補習校へ行かされ、勉強させられたおかげか、語学力は「ハイブリット」だと自称する域に達したようです。それに比べ、私の英語のほうは子どもの日本語のようには上達しないで、日本語だけはいまだに上手(?)に使えるようです。会話するのも恥ずかしいレベルの英語力なのですが、もともとおしゃべり好きですから、英語力アップのいいチャンスとばかりに、いろんな人にあれこれ話しかけます。私は日本で習った程度の英語しか知りませんから、「今日は、語彙や文法までしっかり、きちんとしゃべれたやん」なんて、心の中で密かに自画自賛します。そんな私に娘達は、日本では習わないような本場(?)の英語教育を授けてくれること、度々です。
 娘達曰く、「学校で、話したり書いたりする言葉は、否定的より肯定的な表現を使うようにと教えられてるから、アメリカ人を相手にする時は気をつけたほうがいいよ」と。日ごろからポジティブな言葉を使う習慣は、ポジティブな思考を養うためのトレーニング?
 私の使った英語の悪い例として、子どもの友達に"You had better use ・・・"と「箸よりナイフを勧めた」つもりだったのですが、それは相手には強制や押し付けになる表現だから、気をつけたほうがいいらしい。うーん、こんなことは日本では習わなかったよね。

 正しい語彙や文法の使い方だけで話す英語は、言葉のツールとしては使えたのでしょう。ところがそれが、人に受け入れられる話し方かどうかという視点から考えると、これは別の問題。これって、日本もアメリカもない、とても大切な教えかもしれません。娘に指摘されなくても分かっていたはずです。「言葉遣いについて分かったつもりになっていても、それが出来ることはまた別問題だった」という話でした。 


2008年10月6日月曜日

どこがちがう?


  久方ぶりに、剣道の試合を見ることができました。亡くなった父が、剣道五段までいった剣士だったこともあって、小さい頃から自然に興味を惹かれました。昨日、テレビのチャンネルを回したところ、たまたま大分国体「剣道少年部決勝戦」を当てたのです。

 男女とも、開催県の意地を見せたのか(解説者の口調をまねてみました)、男女とも大分が優勝する結果となりました。優勝メンバーはほとんどが高校生で構成され、若さを十分に発揮した溌剌とした試合振りに、日ごろは物静かな妹も、私と一緒に声を出して応援するほどでした。
 どちらも、甲乙付けがたい実力を持って対戦したのでしょうが、どうして勝者と敗者とに別れるのか。スポーツをする若人にとって、第一によき指導者に恵まれること、また、日ごろの練習方法やそのメニューの組み立ても大事な要素でしょうし、それにも増して、本人の勝利に向けるmotivation(動機づけ)がなければ、なかなか優勝までの道にたどりつけないでしょう。頑張っている若い人を見るのは、本当に気持ちのいいものです。爽やかさを味わったなあ、と思ったところが・・・。
 スポーツで優勝と言えば、例外なく、勝者インタビューが最後に企画されています。男女それぞれのキャプテンが、グループを代表して質問に応じました。それは、現在の心境、どんな練習を積んできたか、誰に喜びを報告したいかなど、特に難しい物ではなかったのです。ですが、テレビの前ということ、また、インタビューされるという慣れない行為からか、質問に答えるには少し落ち着きのなさが気になりました。数分前まで、さすが剣士と思わせたような、試合中で見せていた落ち着きはらった動きと、相手を気迫で押すほどの凛とした姿とは、程遠いほどの自信のなさです。なぜそうなるのでしょう?それは、小さい頃から、人と話をする場数を踏んでいないから、という理由がその一つかな。

 なにごとも、剣道のように習い始める第一歩があるはずですよね。そういう教育は、日本では必要ないのかなあ。 
 
 

2008年10月5日日曜日

D.A.R.E.


 日本のモンスター・ペアレントではありあませんが、もちろんアメリカにも「困った親」は存在します。日本とは少々違った意味での困ったことなのですが。

 レーガン大統領時代、その夫人であるナンシーさんが提唱したD.A.R.E.(drug abuse resistance education)運動がありますが、ご存知でしょうか。一時の勢いはなくなりましたが、未だに続けられています。その意味は、子ども達を薬物の害から守りましょう、というものです。大人はもちろん、子ども達自身も薬物を手にするな、と教えるため、少なくない国家予算と人材が投入されました。人材として地元民の安全を任せられている警察官の中から、特に選ばれた係官が学校へ出向いて、子ども達にいろいろなお話を交えながら、教育していました。その現場を、私が娘のクラスへゲスト・スピーカーとして訪れたとき、たまたまDAREの係官と同じ日程だったのを、子どもと一緒に参観させてもらいました。貴重な経験になりました。
 その運動が盛んな頃、学校も積極的に保護者向けのDARE説明会を設け、参加を促していました。私もそれに出席してみました。校長からDARE運動に関する説明を聞き終わると質疑応答に入りましたが、それはもう次から次へと、親や近所のおじいちゃん、おばあちゃん達に至るまで、忌憚ない意見が出されます。なぜかというと、このDAREは税金を使ったプログラムでしたから、保護者に限らず納税者ならだれでも、「物申す」ことを厭いません。
 「薬物から子どもを守る教育をするのは、政府が税金をかけてやることなのか」、「家庭でやるべきことで、いまさらな話ではないか」などなど。そして、「何も分からない子どもが、自ら薬物にかぎらずアルコールやたばこ(アメリカでは、子どもにアルコールやたばこも薬物の一種と認識させています)に手を出すことはないはずで、身近な親や兄弟、親族から習っているのではないか」ということ、「子どもを教育するよりもまず、そんな大人を教育すべきなのに、一体その親を誰が教育するのか」という意見が出ると、盛大な拍手!結局、子どもを社会悪から守ることにはもちろん賛成だが、まず子どもは家庭で教育することが基本だから、家庭で出来ることはしてみましょう、ということになったのです。会合に出席した人たちは最後に、「子どもは親が守るもの」という熱いメッセージを交し合いながらも、「最近の若い親は」とか、「もともときちんとしつけられていないような人が親になってるから、家庭の問題を解決できていないだけだろう」など、どこかで聞いたような話も耳にしながら、散会しました。

 我が家の子ども達の小学校のある先生が、「子どもが抱える問題のほとんどは、家庭から発生する問題です。だから、親がきちんと子どもに対応すれば、家庭で解決できないことはあまりないはずなんですが」と、確信を持っておっしゃいました。

2008年10月4日土曜日

モンスター・ペアレント


 最近、家でパソコンほど活用している機械はないでしょう。アメリカにいながら、インターネットで日本のニュースを読むことができます。いろんな記事を読んでいますと、ハテナと思わせる言葉を見ること度々です。その一つに「Monster Parent(モンスター・ペアレント)」があります。

 意味を聞くと、家庭でやるべきことを、何でもかんでも学校へ持ち込んでしまう、いわゆる「困ったママ達」のことだそうですね。ある私立幼稚園の先生が挙げた、「子どもに朝ごはんを食べさせられないから、お金は出しますから、朝ご飯を買って食べさせて」と要望(要求?)されたという話が、いい例でしょうか。
 私にすれば、そんな話は、何も最近始まったことではないような気がします。数年前、LAに英語研修で来られた50才になる先生から聞いた、「日本は、児童が学校外で事故に遭っても、親より先に担任へ連絡すんですよ」というのには、驚かされました。それは、夜であろうとまったく時間に関係なく、先生方が親へ連絡を取り、病院へ駆けつけ、事故の処理にまで手を貸すと言うのですから、何か根本的なことが違っていないか?と、人事とは思えませんでしたね。 私も子を持つ親ですから、子どもが事故にあっているのにもかかわらず、先生とはいえ他人が自分より先に駆けつけるなんてことは、逆にさせてはいけないことでしょう。

 アメリカでは、学校の先生は授業が始まる前にクラスのドアの鍵を開け、一日の授業が終わったら、さっさと鍵を閉めて、そのまま帰宅します。家に帰れば、ご自分の家庭の生活があり、またその上に、次の日の授業の準備があるのですから、何時までも学校に居残っていません。学校内でのトラブルさえも、直接担任の先生が関与することはなく、その役目は校長先生が引き受けてくれます。親も子どもに関する要望やトラブルを相談するのは、先生へも相談しますが、解決できないときは学校長に解決してもらいます。それでも駄目なときは、児童カウンセラーや教育委員会などといった専門家へ問題を持ち込みます。「餅屋は餅屋」。それでも、基本的に、家庭で解決できることかどうか、親がまず考えます。家庭の問題なのか、専門家へゆだねるべきかといった、問題を解決するのに適した人材や窓口を選別します。

 アメリカの教育がいいから、アメリカのまねをしようというのではありません。学校の先生とは生来、学業・学問を教えるプロであって、あなたの代わりに責任を持って子育てしてくれる里親ではない、ということです。
 物は考えよう。良識で考えれば、何が間違っているか意見できるはずです。意見を言うも聞くも、やはり子どもの頃からの教育でしょうね。でも、モンスター・ペアレントに育てられた子ども達は、誰をモデルにして良識を身につければいいのでしょうか。それもやっぱり、先生の仕事?


2008年10月3日金曜日

わたしの経歴


 実は私、アメリカ在住30年という、日本のお母さん達とはちょっと違う経歴の持ち主です。

 30年間もアメリカで生活した私ですが、いったいどんな体験をしてきたのだろうかと問われれば、3人娘の「子育て」を一生懸命したという一言で表せます。この言葉には、子どもを通じてアメリカの公教育をつぶさに体験した、という意味が含まれています。
 私の場合、自分自身がアメリカの学校へ行ったことも、社会人のための夜間学校の授業すら取ったことがなく、したがって専門的な日米の教育論を広げるつもりはありません。ですが、日本で教育を受けた私とアメリカの教育しか受けたことのない娘達とでは、はっきりした違いがあることに、ある日突然気づきました。その違いはものの考え方や自己表現、そして自己管理の仕方など、いろいろな形で現れました。それらは、家庭で教えた覚えがないので、学校を通じて彼女達が身につけつけたことは、明らかです。娘達の成長を注意深く観察していくうちに、私自身がまったく違った視点から、アメリカの教育やカルチャーに目を向けるに至りました。

 そのある日突然、何がきっかけとなって、私が子どもの違いに気がついたと思われますか。それは、次女がまだ7年生(日本の中学1年生)のとき、三女のレポート書きを助けるその方法が、「文章の構成」を基本とすること、構成に大切な5つの要素を再確認させる作業をさせたことが、それです。そして、今まで「あれ?」と思わされた、子ども達の言動の数々を掘り起こし、その理由を探求し、その結果を執筆という形で残すことが、私のライフ・ワークとなったのです。

 私のこの経験談は、現在、北米で発行されている海外子女教育情報誌「INFOE」に掲載され、全米の補習校、日本の帰国子女受け入れ校や関係機関へ配布されています。
 
 

2008年9月14日日曜日

昔ばなし


 実家へ帰るとどういうわけか、母は私をつかまえて昔話ばかりしたがります。同居している妹では、「毎日聞かされて、みみだこやわ」と、相手にしてもらえないからでしょう。
 
 この母ですが、自分の言いたいことを最後まで言わせてもらえないと、私が途中で話の腰を折っても、続きを覚えていて元に戻します。最近物忘れの激しい私にできるかと考えると疑問で、よわい80歳にしてこれですから驚きます。その上、小学校時代の自分の先生の名前や特徴、どんなことを話してくれたかといった詳細を忘れていないんです。妹に「老人なのに、どうしてこんなにものをよく覚えてるの?」ときくと、「昨日のことは忘れても、昔のことを覚えているのが、老人の特徴よ」と言うんです。むしろ、「昔のことを覚えてへんのは、認知症を疑ったほうがええんちゃう?」とも言んで、ちょっと待ってよ。
 
 最近、夫を見ていて気づくのですが、夫は「人の名前を思い出せない。日付を間違う。ミスタイプをする。」などといった傾向にあります。もっとも、私にも共通したことだから、妹が言う「認知症」がとても気になりますのよ。母くらいとは言わないけど、せめて以前住んでいた家に「暖炉があったかどうか」くらい覚えていてくれたら、私も安心なんですよね・・・。

 家族から、自分も知っている昔ばなしをされると、最近は耳の傾け方が違っているんです。


2008年9月7日日曜日

「心配」もいろいろ


 きのう、1週間ぶりに、ナルちゃん(姪の子ども・生後10ヶ月)に会いに、実家の母、妹といっしょに姪の家へ行って来ました。今日の通信は、この日の出来事から。
 
 この姪ですが、結婚前は、1日の食事を少しずつ、何度も「ちょこちょこ」食べる習慣を身に付けていたんです。お年頃のせいもあったのでしょうが、時々しか会うこともなかった私が見ても、あまり食事に関心がなかったような。この姪の食習慣が、最近の母の一番の心配事。
 子どもができる前なら、そんな食事の仕方も「ありかな」ですまされていました。が、今は母乳と離乳食で子育て中。心配性なうちの母は、「母親がもっとしっかり食べないと、母乳が足りない」となります。1週間に一度の「ひ孫詣で」ついでに、姪にいっぱい食べさせようと、「手土産」と称して姪の昼食に、ちらしと巻き寿司、その上季節の果物のいちじく(なんと豪華な!)を持参。
 いったい「なんぼ、したん?(いくらしたの?)」(すいません。私、関西人です。)
  
 ナルちゃんの体格はほぼ標準で育ってるし、運動能力も活発。言葉は大人のようにしゃべれませんが、赤ちゃん言葉で大人たちに「問いかけ・返事」までするところを見ると、知能は格段に上等(身びいき)。ナルちゃんの様子から、姪のやり方で完璧とは言わないまでも、問題があるように見えないんだけど。もっとも、人間の身体を作っていくのですから、見た目で見えない部分でどうなっているのか、素人判断はよくないのでしょうが。母の心配の「根っこ」を考えるに、無理からぬと思うのです。

 詮無いないことですが、この母がよく「もしタカコが生きていたら」と口にするのです。1年半前、この姪の母親(私の実姉)は、ナルちゃんの顔を見ないまま亡くなりました。亡くなった姉の代わりにはならないのでしょうが、母は姪に、姉のやりたかったことの万分の一でもしてやれるのなら、してやろうとの一心なのでしょう。それが「心配」という心情となり、お寿司・・・になります。

 「心配」の種類もいろいろ。

 

2008年9月4日木曜日

通信-1

こんにちは。
今日から、やっちゃんの通信日記を始めます。
よろしく。