2009年1月14日水曜日

親の子、社会の子

 
 今朝、古い知り合いから電話をもらい、近況報告などでしばらく花が咲きました。当然、子ども達の話も話題になります。

 彼女のご長男は警察官で、「この経済状況だと、公務員でよかったよね」と言いますと、「そうなんだけど、危ないこともあるらしくて。」どんな危険なことなのか想像もつきませんが、平和国家だと思いがちな日本も、地方で勤務する警察官が身の危険を感じるようなことがあるのねと、認識を新たにします。「でも、本人が好きでしている仕事だから・・・。」彼女の心配も、子どもさんに対する理解も十分に分かります。
 私自身も数年前、長女が、紛争真っ只中のSierra Leone(シエラ・レオン)へ派遣されそうになった経験があります。それが、先発した先輩達が、ジープで移動中に地雷を踏み、全員が重体というニュースで頓挫(日本でも報道されていました)。シエラ・レオンに対応できる医療機関がなかったため、ヘリでパリまで移送されたと聞きましたが、先輩達の安否は今もって知らされていません。

 いざとなると、人は自分自身を裏切る行為に走らせるようです。長女からこの話を聞かされたとき、私は「たとえ仕事でも、行くことには賛成できない」と猛反対。日ごろの信条などどこ吹く風でしょうか。映画ではありませんが、政情が不安定な国への滞在は、場合によっては個人の力ではどうにもならない状況へやられることが、ないとは言えません。アメリカ市民ならまだしも、長女はまだ日本国籍のままです。有事に至ったとき、政府がどこまで自国民を守ってくれるのか、今も不透明なのですから。

 子育てを、親子関係における子どもの利益という物差しで考えがちです。私の場合も、「自分の子どもがまさか」と考えた、最たるケースでしょう。子どもは親から独立するまでの一時期、親の子。生涯でも長い時間を「社会の子」の一員として生きていきます。親が子どもをそう考えられるようになることを、「親の子離れ」と言うのでしょう。


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