2009年1月31日土曜日

grounded(グランデッド)


 辞書を引かないでくださいね。適当な日本語訳は出てないでしょうから。

 団塊の世代の男性の話。物心がつき始めた頃にした悪さに、罰として木にくくられたり押入れに入れられたりしたとか。「何をしてなぜ怒られたのか」というより、酷いことをされたとか怖かった記憶しか残っていないらしい。今の日本でこんなことすると児童虐待?罰という言葉もすでに死語でしょうか。

 アメリカで習った子どもの罰し方の一つがこのgrounded(グランデッド)。鳥は空を自由に飛ぶ動物ですが、羽をもがれると地上でしか動けない。この羽を取り上げられた状態を意味します。親が子どもを養育している権限内で、子どもの権利を一時期奪う罰し方。子どもが一番して欲しくないことを、子ども自身に選ばせて我慢させる(我が家では電話使用禁止、友人とのコミュニケーションを奪われるから死活問題)、なんとも合理的かつ効果的なこと。してしまったことは取り返しがつきませんから、何とか被害を最小限にと子どもも必死。あれこれ知恵を絞って交渉上手に。

 そういう目にあっても、また同じ間違いをするのが子ども。親も根気よく権利を行使。ニワトリが先か卵が先か・・・。


2009年1月25日日曜日

ゆび1本


 ゆび1本で子どもを黙らせる。

 NTTと英語のコンテンツ作りをしていた頃の話。東京のA小学校にモデル校となってもらって公開授業実施。ワーク・ショップにいくつかの英語のゲームをやらせるうち、先生が何度「しずかに!」と叫んでも、子ども達のボルテージが上がって収拾がつかなくなること度々。先生はいつもこの「大声を出す」ストレスでへとへとだとか。

 英語教育についての研修で、ある教育委員会の方がアメリカの小学校を見学された時の話。グループ・ワークで騒がしくしていた子ども達が、突然、あっという間に先生に注目。それを見て感心ひとしきり。「あれにはどんな仕掛けが?」「先生が"人指し指"を高く上げたら、黙って子どもも指を上げて注目」という約束を交わしていて、気づいた子どもが連鎖反応的に行動するのでクラスが静かに。(それぞれの先生が独自のサインを持っています。)

 徒競走は「ヨーイ」でスタートラインに横一線、「ドン」でダッシュ。ルール一つで効を奏します。


2009年1月24日土曜日

33.4


 昨年、買い物帰りで事故に遭い、2回も救急車のお世話に。搬送は5分。

 通報から病院まで、救急車での搬送に07年度の平均が33.4分という結果が。利用した人数、最長所要時間、平均を大幅に上回った地域など、ニュースから与えられた情報はごくわずか。

 私の例。救急車管理会社からの請求額が1回で1600ドル。搬送5分の結果としたら、高いのか安いのか。私の場合はラッキー(?)な方で、一般的に、救急車で搬送されないEmergency(救急)は普通の外来と同じ扱い。国民皆健康保険制度ではないアメリカでは、保険がない人やあっても救急車のカバーがない人は出来るだけ自力で救急窓口へ。

 元旦に甥が救急車のお世話になった時、近所の病院が救急の担当日でなかったため、1時間もかかって2つ隣の町へ連れて行かれました。日本の医療システムも現場の事情に合わせたものへシフトしている時代。重大な発病であったなら、命でその事情をあがなったのかもしれない。

 「33.4」であれ「5」であれ、救急がその役目を果たしているのかどうか。いつかわが子にかかわるのかも。


2009年1月23日金曜日

unconditional love


 数年前、「unconditional love(無償の愛)」について親子で話し合ったことがあります。

 子ども達から、親が子どもに対し無償の愛だと感じるのはどんなところなのかと、親のその愛の有無を問われました。「これ」という概念も、的確な言葉や例で示すものもないので、難しい質問です。あれこれ話をしてみると、私のそれは「母性愛」だという子どもの主張。そこでなぜか、「アダルト・チルドレン」に関連する書物(日本語訳)のいくつかを読んでみてと薦められました。
 
 精神医学の症例や西洋哲学、はては宗教学的要素から分析された、論理的な内容を読んで分かったつもりに。それを基にまた子どもと話し合うと、やっぱり私の読み方は「勘違い」という。子ども達が何日か私に付き合ってくれたおかげか、理解に至らずとも「無償」と「愛」という、馴染みのない言葉や行為について考えさせられました。

 子ども達に親のそれを問われると、私自身は心もとない答えしか返せません。ですが、子どもの私に対する「健気さ」にその「無償の愛」の形を見るようで、子どもこそが持っているものではないのかと感じるのです。


2009年1月22日木曜日

次世代へ


 オバマ大統領の就任演説は、「次世代へ送るものを」と締めくくられています。

 1930年代に見舞われた経済恐慌の政府対策案として、「ニューディール政策」を世界史で習ったのは40年以上前。その一つはネバダ州のフーバーダムとして姿をとどめています。National Gyeography制作のダム建設の歴史を見ると、70年前のダム建設は近代工作機械がまったくない時代。ダイナマイト、太いロープ、かなづちとつるはしなどを使用する、人間の力による手作業です。

 資料の中に労働者の給与別リストがあり、一番高いのはダイナマイト技師、安いのがまかないで数倍の違いがありました。技能がもたらす代価の証明。今、世界を見舞う経済状況の中、教育と技術開発への投資が公約の一つとされ、それは次世代へ引き継いでいくべき物だと述べられています。

 戦後、アメリカから日本へ導入された新しい教育が、今、本家で見直されようとしています。2009年度の新指導要領が発表されましたが、日本はどのような方向へ進もうとしているのでしょう。


2009年1月21日水曜日

Yes, we can.


 出産後すぐの渡米で専業主婦。かつては夫よりも高いお給料をもらって働いていた私なのですが。

 1月20日はオバマ米国大統領の就任式。オバマ氏は"I have a dream."を最高の形で実現させました。妻であるミシェルさんは労働階級出身の黒人女性という典型的なマイノリティ。彼女は才媛だったことで人生を切り開いたモデルです。夫の選択による、自分の人生にファースト・レディの立場を予想したことがあったでしょうか。
 選挙運動中のコメントに、状況に流された自分の立場に戸惑いを見せています。彼女にも自分自身の夢を仕事や家庭に描いたものがあったのでしょうから。

 20/20というアメリカの番組でみたものの中に、仕事を持ったカップルで妻が夫の転勤についていくのかどうか、ということを社会問題だとして取り上げたことがあります。妻は自分の仕事に誇りを持ち、働いてきた間に培ったキャリアや人間関係をゼロにして、夫の赴任先で新しいスタートを切るのは勇気がいると。どうして夫(男性)の仕事が優先されなければいけないのか。妻の都合に合わせて夫が仕事を止めてもいいはずと、涙ながらの訴え。

 日本でも、男性の仕事が優先されるのでしょう。そのとき、仕事を持った女性や母親の選択肢がどれだけあるのか。その幅がたくさん用意された社会が望ましい。 ”Yes, we can."

2009年1月20日火曜日

あれ?


 ネガティブ・ニュースばかり読むからでしょうか。書くこともどんどん過激になってきて、あれ?こんなふうにするつもりはなかったのに・・・。

 昨日、姪がやって来たので、にぎやかな晩ご飯に。母、義兄、妹、姪、私とそれにナルちゃんの5.5人(ナルちゃんはまだ半人前)。このナルちゃんの愛らしさに、大人たちはニコニコ顔。ですが、最近、とみに知恵がついてきたナルちゃんの動きが、大人たちを刺激します。
 手に持たされたオモチャの自動車を投げると、「あぶない」「だめ」「これ」「あー」などと、今までナルちゃんにかけたことのない言葉がちらほら。

 大人は、赤ちゃんに教えたいことを反復させますね。それをまねることで、赤ちゃんはいろんなことを学んでいきます。自分が取る行動で大人がどう反応するのか、それによって物事を知るということもあります。このおもちゃを投げたのもその一例で、大人一人一人の顔をうかがうと(!)反応が曖昧。赤ちゃんもいいのか悪いのか「?」お母さんだけは「ナル、投げたらだめでしょう!」と怖い声。
 姪はナルちゃんに遊ぶ物だと思い出させるため、一緒に「ぶーん、ぶーん」をしてあげます。ナルちゃんは笑顔で得意満面。「これでいいの?」と大人にアピール。
 
 いいことはいい、だめなことはだめと教えることは大事なこと。その理由やフォローなどがあれば、たとえ「だめ」なことでもポジティブに理解することは可能です。それは、どんなことでも同じことが言えます。

 

2009年1月19日月曜日

「生き抜く」社会は


 ある37歳の男性が、所持金90円で餓死したという。

 日本は飽食の時代だとか言っていたのは、つい10年くらい前の話ではなかったかしら。生まれ育った国でこんな話を聞くなんて。この男性は失職するまで納税の義務を果たしていたはずで、必要な時に権利を利用しなかったのか。それともできなかったのか?

 帰国後すぐに「年金特別便」という政府からの郵便を受け取った時、「これなに?」社保庁のシステム破綻やずさんさを聞くに至っては、老後を日本で過ごすためにあてこんでいた年金が、とうなるのかあやしい雲行き。

 義務教育段階の子どもにも家計から年間いくばくか(?)出費することがあるという。若い世代でフリーターが社会現象にあり、納税の義務から逃れるらしい。国民一人当たり12000円の定額給付金2兆円の税金は無駄遣い?
 税金に関するニュースを山ほど聞いてみると、楽しみにしていた日本での生活が、人事とは思えないほどに深刻な様子。国民としての義務を果たしても、その正当な利益をもし受けられない社会なら、「生き抜く力」を身につけよ!と子どもに問うのは非現実的なのでは。

 弱い生き物の子どもに、与えられて当然の権利があるはずなのですが、この男性の死はそれを否定しているように思えます。


2009年1月17日土曜日


 孔子の教えに「衣食足りて礼節を知る」があります。

 たまに家へ帰ってくる子ども達に、まずたずねるのが「何が食べたい?」。ほぼ365日、私の料理を食べて育ったわけですから、いろいろあってしかるべきはず。ところが、「焼きそば」と「餃子」がその第一位。30年前のカルフォルニアで、日本の食材がめったにお目にかかれない時期、小さかった子ども達にごちそうとしてインプットされたお料理が、この二品。(もっと他にいろいろあるでしょう!、と言いたい。)

 子ども達が家を出てまず感じるのが、母親の手料理で育てられ、感謝することらしい。大学の寮で、いかに「まずい学食」を食べ、「栄養のバランス」や「味付け」、「食材の」貧しさなどに閉口したとか。寮生活を終えて自炊をしてみると、母親が食べさせてくれた物を思い浮かべながら作った、と言います。「外食も良いけど、やっぱりお母さんのご飯が一番。」専業主婦冥利に尽きる一言。親心をくすぐります。

 夕飯時をとっくに過ぎた遅い時間に、制服姿の子ども達を街で見かけると、「ご飯は?」とつい思ってしまいます。一昔前の日本で、忙しいお父さんとの団欒が少ないことが話題になっていました。今ではお母さんも働く時代であり、子どもまでが何かと忙しい日本社会。親子で食事を取ることが少なくなってきているのでは?

 「食」は生きるための手段ばかりではないというのは、昔から言い伝えられたこと。家庭での「食」の役割を考えるのも、子育ての一つ?

 

2009年1月16日金曜日

養育

 
 「この家は私の家だから、子どもが親に無断で勝手なことをしてはいけない。」アメリカでよく聞かれる言葉です。

 先日、アメリカの大学進学について、親が教育費などを出す義務があるわけではないと書きました。社会通念として、親が子どもを養育する義務は18歳までと簡単に説明しましたが、分かっていただけたでしょうか。それは、なにも進学にかかる費用だけでもないんです。
 私のアメリカの友人で、共働きするサラリーマン家庭の例を一つ。16歳になった息子は、手に入れた車(アメリカは車社会で必需品)をとても大事に乗っていました。その車を購入する時の親子の会話。
「いくらくらいか、調べてみた?」
「1800ドル~2500ドルくらい」(注:中古車価格)
「どれくらい貸してあげればいいの?」
「貯金は取っときたいから、できたら全額」
「返済は大丈夫?」
「スタバのアルバイトで半額は1年で返せるから、できたら家事を手伝わせて。床みがきとランドリーを時間給5ドルでどう?」
「床みがきに3時間、ランドリーで2時間で1週間に1回25ドル、月に100ドルの返済になるわね。OK、それでいいわよ。」
「ありがとう」

 子どもは小さい頃から、家庭の経済を支えているのは親で、子どもはその親に養育されていると考えます。双方にこのカルチャーがあるため、このような経済感覚での会話が成り立ちます。親子間だけでなく、社会でこの考え方が通念となっています。

 携帯電話やゲーム機など、子どもの必需品が日本にはあふれています。安い品物ではないはずですが、それらの一つを誰でもが持っているように思える社会。自分が汗して手に入れた物なら大事に使いもするのでしょうが、与えてもらって当たり前の物だったとしたら、どうでしょう?

 あらゆる意味で豊かな国、日本の将来を担う候補生の子ども達に、大人たちは何を伝えていくのでしょうか。
  

2009年1月15日木曜日

ゴミ


 今日は、燃えるゴミの収集日でした。一時帰国中で、一人住まいを楽しんでいるのはいいのですが、ゴミ出しは自分でしなくてはいけません。

 主婦廃業宣言をしたから言うのではありません。アメリカでは、たとえ奥さんが専業主婦であっても、ゴミを出すのは男性の役目です。理由は、男性より女性の方が身体的に弱いという固定観念があり、だから重いものは女性に持たせないというカルチャーがあるからです。
 この一例でも分かりますように、男性は身体的な男性らしさを保つための努力をしていて、結構大変そうです。家庭では、父親ばかりでなく男の子も男性的であるよう育てられます。ですから、家庭で父親がすること、たとえば大工仕事や車の修理など、また、遊びやスポーツを一緒にしたりしている姿をよく見かけます。その上、父親が母親の台所仕事、配膳や皿洗いやなどを手伝うのが当たり前として育ちますから、家事などにも通じるようになるのが一般的です。そうするために、親が努力して子どもとの時間を作っている、ということが一つにあります。
 子ども達の友人が家へ遊びに来ると、その子ども、特に男の子が「どういうふうに育った子ども」なのか、私に対する態度で分かってしまいます。多種多様な人種で成り立つアメリカですから、どれがアメリカ人かというのは一概には言えません。ですが、少なくとも学校でも、教育や同世代の子ども達を通じてスタンダードなカルチャーを学んでいることは、確かです。

 最近、英語教育が喧伝されていますが、国際社会への対応は何も言語だけとは限りません。女性の社会進出が目覚しい昨今、世界の国々では女性の対応に敏感です。何もカルチャーまでを欧米化する必要はありませんが、女性に対する歴史が日本のそれとは違う国では、「郷に入っては郷に従え」の教えのように臨機応変で対応することが、寛容です。
 難しい話は別にしても、男性からスマートな女性の扱い方をされると、従来の女性らしさを失った自分が、別人のような自分に感じさせてくれます。ようするに、気分がよくなるのですね。そういう経験を、アメリカではよく受けるのです・・・。

 我が家の旦那様も、30年もアメリカで生活したためか、奥様の扱い方はすっかり欧米化しています。ですから、朝早くゴミを出すのも、我が家では旦那様がしてくれるのです。


2009年1月14日水曜日

親の子、社会の子

 
 今朝、古い知り合いから電話をもらい、近況報告などでしばらく花が咲きました。当然、子ども達の話も話題になります。

 彼女のご長男は警察官で、「この経済状況だと、公務員でよかったよね」と言いますと、「そうなんだけど、危ないこともあるらしくて。」どんな危険なことなのか想像もつきませんが、平和国家だと思いがちな日本も、地方で勤務する警察官が身の危険を感じるようなことがあるのねと、認識を新たにします。「でも、本人が好きでしている仕事だから・・・。」彼女の心配も、子どもさんに対する理解も十分に分かります。
 私自身も数年前、長女が、紛争真っ只中のSierra Leone(シエラ・レオン)へ派遣されそうになった経験があります。それが、先発した先輩達が、ジープで移動中に地雷を踏み、全員が重体というニュースで頓挫(日本でも報道されていました)。シエラ・レオンに対応できる医療機関がなかったため、ヘリでパリまで移送されたと聞きましたが、先輩達の安否は今もって知らされていません。

 いざとなると、人は自分自身を裏切る行為に走らせるようです。長女からこの話を聞かされたとき、私は「たとえ仕事でも、行くことには賛成できない」と猛反対。日ごろの信条などどこ吹く風でしょうか。映画ではありませんが、政情が不安定な国への滞在は、場合によっては個人の力ではどうにもならない状況へやられることが、ないとは言えません。アメリカ市民ならまだしも、長女はまだ日本国籍のままです。有事に至ったとき、政府がどこまで自国民を守ってくれるのか、今も不透明なのですから。

 子育てを、親子関係における子どもの利益という物差しで考えがちです。私の場合も、「自分の子どもがまさか」と考えた、最たるケースでしょう。子どもは親から独立するまでの一時期、親の子。生涯でも長い時間を「社会の子」の一員として生きていきます。親が子どもをそう考えられるようになることを、「親の子離れ」と言うのでしょう。


2009年1月13日火曜日

ノーベル賞


 昨年は、3人もの日本人ノーベル賞受賞が話題になりました。

 受賞された方についての記事を読みますと、いろいろと面白いですね。英語が「大嫌い!」と言う方がいたり、アメリカの大学で教鞭をとられ、永住されている南部さんがいたりと。この方ですが、経歴を拝見しますと、Max Planck(マックス・プランク)メダルも受賞していらっしゃいます。日本の方には、あまり馴染みのない名称かもしれません。

 Max Planckというのはドイツの物理学者の名前です。ドイツ政府が公的資金を投じて運営している学術研究機関を、彼の名前に因んでMax Planck研究所と称しています。実は、我が家の長女もこの研究所の一員として登録されています。研究室の教授から初めて派遣された時、この研究所についていろいろ話をしてくれたのですが、南部さんの記事を読むまでまったく忘れていました。
 私が娘から聞いて記憶にあるのが、手配してもらったアパートの広さ、無料でどこへでもかけられる電話、週末ごとに世界中から集まった研究者とのパーティと、これくらいの程度です。本当に主婦感覚でしか娘の話を聞いていなかったんですね。
 夫とこの話題で盛り上がり、「うちの娘ってすごいのね、知らなかったわ」と言いますと、「肝心な話は聞いていないよね」とあきれてしまいます。「この研究所は、科学や人文に関係なく全ての研究機関を一箇所に集めたところだって、聞いたでしょう?」「すいません、ぜんぜん覚えていません。」研究所についてばかりでなく、娘が何の研究をしているのか、よく分かっていません。何しろ、18歳の大学進学で独立して以来、めったに会えない子どもですから、たまに話してくれることにも「ふーん?」。

 子どもが小さかった頃、冗談で「ノーベル賞をめざせ!」のようなことを言っていたのを思い出します。将来、「何になりたいか」という話のついでに、夢として聞かせたかっただけなのですが。ノーベルの意味を知っていた子ども達から、「お母さん、兵器で得たお金を社会へ還元するって、おかしいと思わないの?」なんて聞かれました。20年位前にそう言った長女は、今、Rwandans(ルワンダ)紛争の戦争犯罪について研究しているらしい。

 いまや、英語はNational Language(世界公用語)のように使われています。娘は英語が出来ることで、若いながらいろいろな可能性に浴しています。
 

2009年1月12日月曜日

成人の日


 1月11日は関西では本えびす。「商売繁盛で、笹もってこい!」の日ですが、今日は全国的に「成人の日」だったんですね。

 成人の日ってどんな意味があるのでしょう。私は子どもが親(家庭)からの独立、社会人になる日のように考えています。
 日本の法的成人年齢は20歳です。選抜されてアメリカへも来ていたので、私でも知っている「ハンカチ王子(斎藤君)」がいろいろな飲酒を試したい、と答えたようです。体育会系ですから、法的に許される年齢でなくても、先輩達から無理やり飲まされたことがあるのでは。

 ところで、アメリカでは「成人」というはっきりとした言葉がありません。州によっては多少違いはありますが、18歳までが義務教育期間と制定されているため、その間の子どもの全ての生活や教育などは、親はもちろん国や州、地方自治体に依ります。そして、刑事罰は18歳以上になると適応され、斎藤君の言うようなお酒、タバコなどは21歳からです。
 18歳から21歳までの期間が、親子による完全な独立へ向けての猶予期間とでも言いましょうか。最初の試練(?)は、義務教育期間が終わることで、社会へ出るのか勉強を続けるのかを決めることから始まります。この時、家庭によっては義務は果たしたと考え、子どもを家から出して独立させる親もあれば、勉強を続けるためにかかる費用を親が貸与したり、子ども名義で低金利の育英ローンを組ませるという人もいます。このとき、親は社会人として子どもに対応しますから、親子関係というよりローンの窓口係りを相手にしているような感じで、子どもも交渉します。もちろん、日本のように全て親がかりというケースもあります。子どもにとってこれが一番楽なように見受けられますが、そう考えるのは考え方の違いかもしれません。難しく言えば、西欧の「個人主義」教育が、子どもを幼児期のような早い時期から、成人させるためのシステムとして出来ているからです。(「個人主義」についてはまた別の機会に。)
 子ども達が21歳になると、経済面で「独立」するシステム、例えば授業料の優遇措置、自動車保険や健康保険の扶養などが適応されなくなります。経済面ばかりでなく、アパートを借りるにしても、親ではなく子どもとの賃貸契約となり、保証人を立てなければなりません。支払いが遅かったり、滞納したりすると、個人のクレジット(交通違反などのポイントのようなもの)経歴として記録されていきます。この記録が個人の経済的な、また、社会的な信用度を図るためのデータとなり、一生ついてまわります。アメリカで「若い時の失敗の一つや二つ」といった感覚でいると、とても危険な社会だと言えます。子どもの行動や考え方を信じるほかありません。それは、そう信じられる子どもに育てられたのかどうかという、親自身が自分の姿勢を問うことになります。
 
 社会が子どもの成人を促してはいますが、家庭でその足がかりとなるように育てられているでしょうか。精神的にも経済的にも、子どもの独立に関しては洋の東西を問わず大きな課題です。いつかは親の手から送り出す子ども達にとって、同世代の人たちとともに、学びあい助け合いながら独立していける日本社会であることを、願うばかりです。


2009年1月11日日曜日

海外駐在経験


 海外駐在経験者にもいろいろな方がいますね。

 先日、ある仕事のついでに、帰国のお母さん達で作っていらっしゃる会のミーティングへ参加させてもらいました。その会の代表をされている方から、ニューヨークに2年間駐在経験があるというお母さんを紹介されました。どうやらそのお母さんは、海外へ派遣される予定の教育関係者対象の説明会で講演するのだとか。説明会の中で、「海外ではどのような事に注意」しなければいけないかがあると言います。そのアドバイスを私に求められたのでしょう。

 どの国にもその歴史的背景があって国が成り立っています。アメリカに住んでいろいろ学びましたが、その中でも日本とまったく違う点は、所得の格差による住み分けが大変厳しいことです。特にアメリカの郊外、ニューヨークの日本人学校所在地付近ではそれが顕著です。
 何年か前に校舎を購入する際、外国資本に買収されることでずい分話題になったのです。ジョージ・ブッシュ(先代)大統領婦人バーバラさんが卒業された由緒ある学校で、建物自体も"Historical Landmark"。しかも、アメリカで初めての女学校でもありました。アメリカの歴史に深いかかわりのある学校。Landmarkというくらいですから、それはアメリカ人の誇りなのです。
 日本人学校へ通わせていた保護者なら、お子さんの学校のことですから知っていていいはずでしたが、その方は知らなかったのです。海外駐在経験者の話や回答はヒントにはなりえますが、その人個人の体験談でしかありません。滞米30年の私が言うのですから、真実味があると思いませんか?

 「海外ではどのような事に注意」という質問にたいして一つ言えるとすれば。その逆の立場になって考えさせ、参加者全員からどんな回答がなされるか聞いてみればいいのです。それが、その人達の回答となりえるかもしれないからです。そして、日本の教育を通して、世界の歴史を学んでいるのですからその国の背景、たとえば宗教上の問題や経済紛争など、おおざっぱにでも学んでおくことです。
 机上で学んだ事柄を海外滞在中に実体験するのは、何も子ども達だけとは限らないはず。学校やいろんなメディアで見聞きした経験は、子ども以上にあるのですから。

 もし、最近の帰国生から魅力を感じなくなったとすれば、その子ども達を伴った親はその比ではないのでは、と心配になりました。

 

2009年1月10日土曜日

学力って何


 今朝のインターネットで「学力って何?」というニュースを見ました。昨年度末の、新学習指導要領に高校の「英語は英話で」に続き、小学5・6年生の英語必須化について論議されています。日本の英語教育は一体、どうなってしまったの?

 昨年7月に帰国してすぐ、東京の海外子女教育振興財団に関わる帰国おばさんの友人を介して、これもアメリカから帰国された後、ある都市の英語教育に助力し、市会議員に至った女性を紹介してもらいました。その方と日本の教育、特に英語について話し合いましたが、彼女が関わった某市の英語幼児プログラムも、彼女が身を引いた後は活動が縮小してしまったと言います。彼女は、その原因に思い至らないようでした。この例が、今の日本の英語教育問題点なのかしら、と感じます。
  数年前まで、日本からの生徒を受け入れている高校で、ESLコースのデレクターをしていた夫の知人とともに、UCLAのExtensionでクラスを公開していました。そのクラスで、日本の小学校の先生達に英語の指導法を講義しました。その中で、幼児段階の言葉の発達は、日本語のように英語も、日々、その言語に触れることから成り立つ(Stephan Krashen, Natural Approach Method)と習います。そのいい例が我が家の子ども達で、アメリカで育った環境の中でも、いわゆる日・英のバイリンガルになりえた経験から証明できます。
 我が家の子ども達と日本の子ども達の、外国語習得の実態を比較してみましょう。娘達は全員、家庭を別にすれば日本語環境がまったくない中で生まれ育ちましたから、今の日本の子ども達の逆バージョンです。そのことを頭において、イメージしてください。二つの簡単な比較でも分かってもらえるだろうと思いますが、学習にかける時間数や指導力がしっかりしてはじめて、外国語習得が達成されるのです。
<学校>
松本:週1回の年間54日で約180時間、日本語補習校で日本の授業を受講。宿題や課題が出され、1日1時間ほどの家庭学習を含む。
日本:総合的学習の時間110時間のうち30時間、宿題や課題の有無は?
<継続学習> 
松本:補習校へ小学校1年から中学2年までの8年間通学。
日本:中学英語教育へ 
<家庭内>
松本:日本語ネイティブの両親との会話、読み聞かせ、読書、音楽、テレビやDVD鑑賞など
日本の子ども達:英語塾や家庭教師、CDやDVD鑑賞、その他 

  日本の英語教育についていつも疑問に思うのが、子ども達がどのレベルの英語を習得するのを目標としているか、ということ。小学校から最高学府で学ぶのが当たり前のように考えられる日本で、まさか幼児レベルの英会話ができることを、英語教育として指導されているはずはないですよね。幼児がしゃべれるようになれば、当然、その先の学習の読み・書きが主体となり、また、それを基礎としてあらゆる分野の能力を磨くために学校はあるはずなのですから。

  あちらこちらと、教育を授ける側と受ける側のあやうさが気になります。 

 

2009年1月9日金曜日

おとしだま


 お正月にお年玉。子どもが大人からいただく、というだけでもないんですね。

 2日に、近くに住む親族が集まり、我が家でお祝いの膳を囲みました。さんざん飲んで食べてしゃべって、さあ、もう皆引き上げようかといった時の話です。姪が、トチ袋(こんな言葉を使うのも久しぶり)を持ち出して、母、妹と私に「はいこれ。少ないけど3人から」と。姪夫婦と甥からお年玉を頂戴してしまいました。
 そう言えば、姪から「おばちゃん、アメリカでお正月は何するの?」と聞かれたのですが、あっさりしたもので「カウントダウンして"Happy New Year"」で終わりなんです。人種が多様なカルフォルニアに住んでいますから、信仰する宗教も多様で一概に「これ」ということは出来ませんが、私達家族は12月25日のクリスマスをイベントとし、1年の区切りとしてきました。子ども達が、アメリカ社会の伝統として受け入れ、自然と身につけたからです。その思い出話をほんの少し・・・。
 クリスマスは子ども達にとって「どきどき、はらはら」のイベントでした。なにしろ、ベッドの頭につるした靴下に、North Poleへ出した「お願い」が聞き届けられたのか、はたまた、その年の1年間の行いが悪いと判断され、サンタさんが「石」を詰めて帰ってしまったかもしれないのを見届けなくてはいけないのですから。子どもにとってはなかなかシビアなイベントです。そのサンタさんからのクリスマスプレゼントがどうなったかというと。
 なにしろまだサンタさんの存在を信じていた頃の話で、25日は朝5時から飛び起き、ツリーの下のプレゼントと一緒に開封するため、万全の体制(パジャマです)で待機。そして母親からこう言い渡されます。「はい、これから1時間おきに1つずつプレゼントを開いていこうね」と。もちろん、子ども達からはブーイングの嵐。それが、やってみるとこれがけっこう子ども達に受けました。どうしてか分かりますか?1日中、食べて飲んでしゃべって、ピアノ伴奏つきでリッチにカラオケ、最後に百人一首。その合間にプレゼント開封。親と1日中遊ぶ日だったんです。その日は夫も私自身もずい分楽しませてもらいました。

 日本の習慣として、もちろん元旦もお正月らしいことをしました。住んでいるところは日本人が比較的多く、日本食にも恵まれています。御節料理も渡米当初はちからを入れて作りましたが、最近は、子ども達のリクエストを聞きいれ、お神酒にお雑煮、おすしと少しの御節、締めくくりにぜんざいをいただく程度。ほんとうに形ばかりになってきました。そのお正月を今年は、家族を遠くに残して迎えました。お正月の支度を手伝ってくれた妹から、所によっては「元旦からスーパーが開いているのよ」と聞き、日本のそれの様変わりや価値観すらも変わってきたことを教えてくれます。

 年始めそうそう、お年玉をもらうというハプニング(?)で、日本もいろいろ変わったのねという、思いひとしきり。


お知らせ:
この「やすこさんの通信日記」を、INFOEのHP(www.infoe.com)へリンクしました。このHPは、アメリカで発行されている海外子女・帰国子女情報誌「INFOE」の一部ですが掲載されています。私が執筆している「海外で育った母と子」の連載も含まれています。興味のある方は、一度ご覧ください。