2009年1月31日土曜日

grounded(グランデッド)


 辞書を引かないでくださいね。適当な日本語訳は出てないでしょうから。

 団塊の世代の男性の話。物心がつき始めた頃にした悪さに、罰として木にくくられたり押入れに入れられたりしたとか。「何をしてなぜ怒られたのか」というより、酷いことをされたとか怖かった記憶しか残っていないらしい。今の日本でこんなことすると児童虐待?罰という言葉もすでに死語でしょうか。

 アメリカで習った子どもの罰し方の一つがこのgrounded(グランデッド)。鳥は空を自由に飛ぶ動物ですが、羽をもがれると地上でしか動けない。この羽を取り上げられた状態を意味します。親が子どもを養育している権限内で、子どもの権利を一時期奪う罰し方。子どもが一番して欲しくないことを、子ども自身に選ばせて我慢させる(我が家では電話使用禁止、友人とのコミュニケーションを奪われるから死活問題)、なんとも合理的かつ効果的なこと。してしまったことは取り返しがつきませんから、何とか被害を最小限にと子どもも必死。あれこれ知恵を絞って交渉上手に。

 そういう目にあっても、また同じ間違いをするのが子ども。親も根気よく権利を行使。ニワトリが先か卵が先か・・・。


2009年1月25日日曜日

ゆび1本


 ゆび1本で子どもを黙らせる。

 NTTと英語のコンテンツ作りをしていた頃の話。東京のA小学校にモデル校となってもらって公開授業実施。ワーク・ショップにいくつかの英語のゲームをやらせるうち、先生が何度「しずかに!」と叫んでも、子ども達のボルテージが上がって収拾がつかなくなること度々。先生はいつもこの「大声を出す」ストレスでへとへとだとか。

 英語教育についての研修で、ある教育委員会の方がアメリカの小学校を見学された時の話。グループ・ワークで騒がしくしていた子ども達が、突然、あっという間に先生に注目。それを見て感心ひとしきり。「あれにはどんな仕掛けが?」「先生が"人指し指"を高く上げたら、黙って子どもも指を上げて注目」という約束を交わしていて、気づいた子どもが連鎖反応的に行動するのでクラスが静かに。(それぞれの先生が独自のサインを持っています。)

 徒競走は「ヨーイ」でスタートラインに横一線、「ドン」でダッシュ。ルール一つで効を奏します。


2009年1月24日土曜日

33.4


 昨年、買い物帰りで事故に遭い、2回も救急車のお世話に。搬送は5分。

 通報から病院まで、救急車での搬送に07年度の平均が33.4分という結果が。利用した人数、最長所要時間、平均を大幅に上回った地域など、ニュースから与えられた情報はごくわずか。

 私の例。救急車管理会社からの請求額が1回で1600ドル。搬送5分の結果としたら、高いのか安いのか。私の場合はラッキー(?)な方で、一般的に、救急車で搬送されないEmergency(救急)は普通の外来と同じ扱い。国民皆健康保険制度ではないアメリカでは、保険がない人やあっても救急車のカバーがない人は出来るだけ自力で救急窓口へ。

 元旦に甥が救急車のお世話になった時、近所の病院が救急の担当日でなかったため、1時間もかかって2つ隣の町へ連れて行かれました。日本の医療システムも現場の事情に合わせたものへシフトしている時代。重大な発病であったなら、命でその事情をあがなったのかもしれない。

 「33.4」であれ「5」であれ、救急がその役目を果たしているのかどうか。いつかわが子にかかわるのかも。


2009年1月23日金曜日

unconditional love


 数年前、「unconditional love(無償の愛)」について親子で話し合ったことがあります。

 子ども達から、親が子どもに対し無償の愛だと感じるのはどんなところなのかと、親のその愛の有無を問われました。「これ」という概念も、的確な言葉や例で示すものもないので、難しい質問です。あれこれ話をしてみると、私のそれは「母性愛」だという子どもの主張。そこでなぜか、「アダルト・チルドレン」に関連する書物(日本語訳)のいくつかを読んでみてと薦められました。
 
 精神医学の症例や西洋哲学、はては宗教学的要素から分析された、論理的な内容を読んで分かったつもりに。それを基にまた子どもと話し合うと、やっぱり私の読み方は「勘違い」という。子ども達が何日か私に付き合ってくれたおかげか、理解に至らずとも「無償」と「愛」という、馴染みのない言葉や行為について考えさせられました。

 子ども達に親のそれを問われると、私自身は心もとない答えしか返せません。ですが、子どもの私に対する「健気さ」にその「無償の愛」の形を見るようで、子どもこそが持っているものではないのかと感じるのです。


2009年1月22日木曜日

次世代へ


 オバマ大統領の就任演説は、「次世代へ送るものを」と締めくくられています。

 1930年代に見舞われた経済恐慌の政府対策案として、「ニューディール政策」を世界史で習ったのは40年以上前。その一つはネバダ州のフーバーダムとして姿をとどめています。National Gyeography制作のダム建設の歴史を見ると、70年前のダム建設は近代工作機械がまったくない時代。ダイナマイト、太いロープ、かなづちとつるはしなどを使用する、人間の力による手作業です。

 資料の中に労働者の給与別リストがあり、一番高いのはダイナマイト技師、安いのがまかないで数倍の違いがありました。技能がもたらす代価の証明。今、世界を見舞う経済状況の中、教育と技術開発への投資が公約の一つとされ、それは次世代へ引き継いでいくべき物だと述べられています。

 戦後、アメリカから日本へ導入された新しい教育が、今、本家で見直されようとしています。2009年度の新指導要領が発表されましたが、日本はどのような方向へ進もうとしているのでしょう。


2009年1月21日水曜日

Yes, we can.


 出産後すぐの渡米で専業主婦。かつては夫よりも高いお給料をもらって働いていた私なのですが。

 1月20日はオバマ米国大統領の就任式。オバマ氏は"I have a dream."を最高の形で実現させました。妻であるミシェルさんは労働階級出身の黒人女性という典型的なマイノリティ。彼女は才媛だったことで人生を切り開いたモデルです。夫の選択による、自分の人生にファースト・レディの立場を予想したことがあったでしょうか。
 選挙運動中のコメントに、状況に流された自分の立場に戸惑いを見せています。彼女にも自分自身の夢を仕事や家庭に描いたものがあったのでしょうから。

 20/20というアメリカの番組でみたものの中に、仕事を持ったカップルで妻が夫の転勤についていくのかどうか、ということを社会問題だとして取り上げたことがあります。妻は自分の仕事に誇りを持ち、働いてきた間に培ったキャリアや人間関係をゼロにして、夫の赴任先で新しいスタートを切るのは勇気がいると。どうして夫(男性)の仕事が優先されなければいけないのか。妻の都合に合わせて夫が仕事を止めてもいいはずと、涙ながらの訴え。

 日本でも、男性の仕事が優先されるのでしょう。そのとき、仕事を持った女性や母親の選択肢がどれだけあるのか。その幅がたくさん用意された社会が望ましい。 ”Yes, we can."

2009年1月20日火曜日

あれ?


 ネガティブ・ニュースばかり読むからでしょうか。書くこともどんどん過激になってきて、あれ?こんなふうにするつもりはなかったのに・・・。

 昨日、姪がやって来たので、にぎやかな晩ご飯に。母、義兄、妹、姪、私とそれにナルちゃんの5.5人(ナルちゃんはまだ半人前)。このナルちゃんの愛らしさに、大人たちはニコニコ顔。ですが、最近、とみに知恵がついてきたナルちゃんの動きが、大人たちを刺激します。
 手に持たされたオモチャの自動車を投げると、「あぶない」「だめ」「これ」「あー」などと、今までナルちゃんにかけたことのない言葉がちらほら。

 大人は、赤ちゃんに教えたいことを反復させますね。それをまねることで、赤ちゃんはいろんなことを学んでいきます。自分が取る行動で大人がどう反応するのか、それによって物事を知るということもあります。このおもちゃを投げたのもその一例で、大人一人一人の顔をうかがうと(!)反応が曖昧。赤ちゃんもいいのか悪いのか「?」お母さんだけは「ナル、投げたらだめでしょう!」と怖い声。
 姪はナルちゃんに遊ぶ物だと思い出させるため、一緒に「ぶーん、ぶーん」をしてあげます。ナルちゃんは笑顔で得意満面。「これでいいの?」と大人にアピール。
 
 いいことはいい、だめなことはだめと教えることは大事なこと。その理由やフォローなどがあれば、たとえ「だめ」なことでもポジティブに理解することは可能です。それは、どんなことでも同じことが言えます。