2009年1月9日金曜日

おとしだま


 お正月にお年玉。子どもが大人からいただく、というだけでもないんですね。

 2日に、近くに住む親族が集まり、我が家でお祝いの膳を囲みました。さんざん飲んで食べてしゃべって、さあ、もう皆引き上げようかといった時の話です。姪が、トチ袋(こんな言葉を使うのも久しぶり)を持ち出して、母、妹と私に「はいこれ。少ないけど3人から」と。姪夫婦と甥からお年玉を頂戴してしまいました。
 そう言えば、姪から「おばちゃん、アメリカでお正月は何するの?」と聞かれたのですが、あっさりしたもので「カウントダウンして"Happy New Year"」で終わりなんです。人種が多様なカルフォルニアに住んでいますから、信仰する宗教も多様で一概に「これ」ということは出来ませんが、私達家族は12月25日のクリスマスをイベントとし、1年の区切りとしてきました。子ども達が、アメリカ社会の伝統として受け入れ、自然と身につけたからです。その思い出話をほんの少し・・・。
 クリスマスは子ども達にとって「どきどき、はらはら」のイベントでした。なにしろ、ベッドの頭につるした靴下に、North Poleへ出した「お願い」が聞き届けられたのか、はたまた、その年の1年間の行いが悪いと判断され、サンタさんが「石」を詰めて帰ってしまったかもしれないのを見届けなくてはいけないのですから。子どもにとってはなかなかシビアなイベントです。そのサンタさんからのクリスマスプレゼントがどうなったかというと。
 なにしろまだサンタさんの存在を信じていた頃の話で、25日は朝5時から飛び起き、ツリーの下のプレゼントと一緒に開封するため、万全の体制(パジャマです)で待機。そして母親からこう言い渡されます。「はい、これから1時間おきに1つずつプレゼントを開いていこうね」と。もちろん、子ども達からはブーイングの嵐。それが、やってみるとこれがけっこう子ども達に受けました。どうしてか分かりますか?1日中、食べて飲んでしゃべって、ピアノ伴奏つきでリッチにカラオケ、最後に百人一首。その合間にプレゼント開封。親と1日中遊ぶ日だったんです。その日は夫も私自身もずい分楽しませてもらいました。

 日本の習慣として、もちろん元旦もお正月らしいことをしました。住んでいるところは日本人が比較的多く、日本食にも恵まれています。御節料理も渡米当初はちからを入れて作りましたが、最近は、子ども達のリクエストを聞きいれ、お神酒にお雑煮、おすしと少しの御節、締めくくりにぜんざいをいただく程度。ほんとうに形ばかりになってきました。そのお正月を今年は、家族を遠くに残して迎えました。お正月の支度を手伝ってくれた妹から、所によっては「元旦からスーパーが開いているのよ」と聞き、日本のそれの様変わりや価値観すらも変わってきたことを教えてくれます。

 年始めそうそう、お年玉をもらうというハプニング(?)で、日本もいろいろ変わったのねという、思いひとしきり。


お知らせ:
この「やすこさんの通信日記」を、INFOEのHP(www.infoe.com)へリンクしました。このHPは、アメリカで発行されている海外子女・帰国子女情報誌「INFOE」の一部ですが掲載されています。私が執筆している「海外で育った母と子」の連載も含まれています。興味のある方は、一度ご覧ください。



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