2008年10月6日月曜日

どこがちがう?


  久方ぶりに、剣道の試合を見ることができました。亡くなった父が、剣道五段までいった剣士だったこともあって、小さい頃から自然に興味を惹かれました。昨日、テレビのチャンネルを回したところ、たまたま大分国体「剣道少年部決勝戦」を当てたのです。

 男女とも、開催県の意地を見せたのか(解説者の口調をまねてみました)、男女とも大分が優勝する結果となりました。優勝メンバーはほとんどが高校生で構成され、若さを十分に発揮した溌剌とした試合振りに、日ごろは物静かな妹も、私と一緒に声を出して応援するほどでした。
 どちらも、甲乙付けがたい実力を持って対戦したのでしょうが、どうして勝者と敗者とに別れるのか。スポーツをする若人にとって、第一によき指導者に恵まれること、また、日ごろの練習方法やそのメニューの組み立ても大事な要素でしょうし、それにも増して、本人の勝利に向けるmotivation(動機づけ)がなければ、なかなか優勝までの道にたどりつけないでしょう。頑張っている若い人を見るのは、本当に気持ちのいいものです。爽やかさを味わったなあ、と思ったところが・・・。
 スポーツで優勝と言えば、例外なく、勝者インタビューが最後に企画されています。男女それぞれのキャプテンが、グループを代表して質問に応じました。それは、現在の心境、どんな練習を積んできたか、誰に喜びを報告したいかなど、特に難しい物ではなかったのです。ですが、テレビの前ということ、また、インタビューされるという慣れない行為からか、質問に答えるには少し落ち着きのなさが気になりました。数分前まで、さすが剣士と思わせたような、試合中で見せていた落ち着きはらった動きと、相手を気迫で押すほどの凛とした姿とは、程遠いほどの自信のなさです。なぜそうなるのでしょう?それは、小さい頃から、人と話をする場数を踏んでいないから、という理由がその一つかな。

 なにごとも、剣道のように習い始める第一歩があるはずですよね。そういう教育は、日本では必要ないのかなあ。 
 
 

2008年10月5日日曜日

D.A.R.E.


 日本のモンスター・ペアレントではありあませんが、もちろんアメリカにも「困った親」は存在します。日本とは少々違った意味での困ったことなのですが。

 レーガン大統領時代、その夫人であるナンシーさんが提唱したD.A.R.E.(drug abuse resistance education)運動がありますが、ご存知でしょうか。一時の勢いはなくなりましたが、未だに続けられています。その意味は、子ども達を薬物の害から守りましょう、というものです。大人はもちろん、子ども達自身も薬物を手にするな、と教えるため、少なくない国家予算と人材が投入されました。人材として地元民の安全を任せられている警察官の中から、特に選ばれた係官が学校へ出向いて、子ども達にいろいろなお話を交えながら、教育していました。その現場を、私が娘のクラスへゲスト・スピーカーとして訪れたとき、たまたまDAREの係官と同じ日程だったのを、子どもと一緒に参観させてもらいました。貴重な経験になりました。
 その運動が盛んな頃、学校も積極的に保護者向けのDARE説明会を設け、参加を促していました。私もそれに出席してみました。校長からDARE運動に関する説明を聞き終わると質疑応答に入りましたが、それはもう次から次へと、親や近所のおじいちゃん、おばあちゃん達に至るまで、忌憚ない意見が出されます。なぜかというと、このDAREは税金を使ったプログラムでしたから、保護者に限らず納税者ならだれでも、「物申す」ことを厭いません。
 「薬物から子どもを守る教育をするのは、政府が税金をかけてやることなのか」、「家庭でやるべきことで、いまさらな話ではないか」などなど。そして、「何も分からない子どもが、自ら薬物にかぎらずアルコールやたばこ(アメリカでは、子どもにアルコールやたばこも薬物の一種と認識させています)に手を出すことはないはずで、身近な親や兄弟、親族から習っているのではないか」ということ、「子どもを教育するよりもまず、そんな大人を教育すべきなのに、一体その親を誰が教育するのか」という意見が出ると、盛大な拍手!結局、子どもを社会悪から守ることにはもちろん賛成だが、まず子どもは家庭で教育することが基本だから、家庭で出来ることはしてみましょう、ということになったのです。会合に出席した人たちは最後に、「子どもは親が守るもの」という熱いメッセージを交し合いながらも、「最近の若い親は」とか、「もともときちんとしつけられていないような人が親になってるから、家庭の問題を解決できていないだけだろう」など、どこかで聞いたような話も耳にしながら、散会しました。

 我が家の子ども達の小学校のある先生が、「子どもが抱える問題のほとんどは、家庭から発生する問題です。だから、親がきちんと子どもに対応すれば、家庭で解決できないことはあまりないはずなんですが」と、確信を持っておっしゃいました。

2008年10月4日土曜日

モンスター・ペアレント


 最近、家でパソコンほど活用している機械はないでしょう。アメリカにいながら、インターネットで日本のニュースを読むことができます。いろんな記事を読んでいますと、ハテナと思わせる言葉を見ること度々です。その一つに「Monster Parent(モンスター・ペアレント)」があります。

 意味を聞くと、家庭でやるべきことを、何でもかんでも学校へ持ち込んでしまう、いわゆる「困ったママ達」のことだそうですね。ある私立幼稚園の先生が挙げた、「子どもに朝ごはんを食べさせられないから、お金は出しますから、朝ご飯を買って食べさせて」と要望(要求?)されたという話が、いい例でしょうか。
 私にすれば、そんな話は、何も最近始まったことではないような気がします。数年前、LAに英語研修で来られた50才になる先生から聞いた、「日本は、児童が学校外で事故に遭っても、親より先に担任へ連絡すんですよ」というのには、驚かされました。それは、夜であろうとまったく時間に関係なく、先生方が親へ連絡を取り、病院へ駆けつけ、事故の処理にまで手を貸すと言うのですから、何か根本的なことが違っていないか?と、人事とは思えませんでしたね。 私も子を持つ親ですから、子どもが事故にあっているのにもかかわらず、先生とはいえ他人が自分より先に駆けつけるなんてことは、逆にさせてはいけないことでしょう。

 アメリカでは、学校の先生は授業が始まる前にクラスのドアの鍵を開け、一日の授業が終わったら、さっさと鍵を閉めて、そのまま帰宅します。家に帰れば、ご自分の家庭の生活があり、またその上に、次の日の授業の準備があるのですから、何時までも学校に居残っていません。学校内でのトラブルさえも、直接担任の先生が関与することはなく、その役目は校長先生が引き受けてくれます。親も子どもに関する要望やトラブルを相談するのは、先生へも相談しますが、解決できないときは学校長に解決してもらいます。それでも駄目なときは、児童カウンセラーや教育委員会などといった専門家へ問題を持ち込みます。「餅屋は餅屋」。それでも、基本的に、家庭で解決できることかどうか、親がまず考えます。家庭の問題なのか、専門家へゆだねるべきかといった、問題を解決するのに適した人材や窓口を選別します。

 アメリカの教育がいいから、アメリカのまねをしようというのではありません。学校の先生とは生来、学業・学問を教えるプロであって、あなたの代わりに責任を持って子育てしてくれる里親ではない、ということです。
 物は考えよう。良識で考えれば、何が間違っているか意見できるはずです。意見を言うも聞くも、やはり子どもの頃からの教育でしょうね。でも、モンスター・ペアレントに育てられた子ども達は、誰をモデルにして良識を身につければいいのでしょうか。それもやっぱり、先生の仕事?


2008年10月3日金曜日

わたしの経歴


 実は私、アメリカ在住30年という、日本のお母さん達とはちょっと違う経歴の持ち主です。

 30年間もアメリカで生活した私ですが、いったいどんな体験をしてきたのだろうかと問われれば、3人娘の「子育て」を一生懸命したという一言で表せます。この言葉には、子どもを通じてアメリカの公教育をつぶさに体験した、という意味が含まれています。
 私の場合、自分自身がアメリカの学校へ行ったことも、社会人のための夜間学校の授業すら取ったことがなく、したがって専門的な日米の教育論を広げるつもりはありません。ですが、日本で教育を受けた私とアメリカの教育しか受けたことのない娘達とでは、はっきりした違いがあることに、ある日突然気づきました。その違いはものの考え方や自己表現、そして自己管理の仕方など、いろいろな形で現れました。それらは、家庭で教えた覚えがないので、学校を通じて彼女達が身につけつけたことは、明らかです。娘達の成長を注意深く観察していくうちに、私自身がまったく違った視点から、アメリカの教育やカルチャーに目を向けるに至りました。

 そのある日突然、何がきっかけとなって、私が子どもの違いに気がついたと思われますか。それは、次女がまだ7年生(日本の中学1年生)のとき、三女のレポート書きを助けるその方法が、「文章の構成」を基本とすること、構成に大切な5つの要素を再確認させる作業をさせたことが、それです。そして、今まで「あれ?」と思わされた、子ども達の言動の数々を掘り起こし、その理由を探求し、その結果を執筆という形で残すことが、私のライフ・ワークとなったのです。

 私のこの経験談は、現在、北米で発行されている海外子女教育情報誌「INFOE」に掲載され、全米の補習校、日本の帰国子女受け入れ校や関係機関へ配布されています。