2008年11月29日土曜日

親も親として


 よわい1歳にして、ナルちゃんが逆切れしたそうです。

 何をしても天使のように愛らしいナルちゃんですが、最近は、自分の気に入らないことをされると、反抗することもあるらしい。姪は今頃の母親らしく、それを「逆切れ」と表現します。それはさておき、今まで見せたことのない顔は、一体どんな状況で表れたんでしょうね。
 どうもナルちゃんは、玄関に並べられた靴に興味があるようです。先日、おとなしく靴で遊んでいたのを、触らせないように姪が「あかんよ」と止めさせたところ、邪魔しないでと「逆切れ」に及んだようです。たまにしか会わない子どもですが、1歳の赤ちゃんとはいえ、すでにその気質の一端を見て取れるのですから、さもありなん。
 今、ナルちゃんのお気に入りは、ディズニー製品の「カタカタ」(今の時代、この表現はいかがなものでしょう?)で部屋中を歩き(走り?)回ることです。マンションの間取り図は、真ん中に長い廊下があり、その両側に部屋などが配分されています。ナルちゃんはそれの廊下と多角目的用の部屋、そしてリビングの範囲を行ったり来たり。そのルートには角や家具もあり、いまだしっかり歩けない赤ちゃんでは、カタカタをあちこちぶつけても仕方ないように思います。ですが、ナルちゃんはどこにもぶつかることがないので、「もしかして自分でコントロールしている?」と母親に聞いてみますと、「そう言われてみると、机の下や狭いところへもぐりこんでも、頭をぶつけたことがないから、そうなんかな?」 言葉は悪いのですが、もしかして慎重居士?
 今日は、マトリョーシカ風に作られたプラスティック製の容器に、スプーンを使って食べ物を入れたり出したりしているつもりなのでしょうか、飽きることなくまねごとを繰り返していました。また、ひざに乗せて絵本を読んでやりますと、お気に入りページがあるのか、何事かをつぶやきながら、しばらくは開いては閉じるという自分だけの世界へ。集中力があるのか粘り強いのやら?何かに気を取られると、大人が声をかけても耳が聞こえなくなってしまうナルちゃんですから、靴遊びを強制終了させられて、言葉の代わりに行動で「切れて」意思表示して見せたのでしょう。
 ずい分、意味を持った行動をするようになっています。人は環境によって人格が形成されていくといいますが、ナルちゃんの生まれ持った気質も確かにあるようですから、姪もそろそろ「未知との遭遇」に対応しなければならなくなってきたようです。
 
 唐突な話ですが、そう言えば「あなたの方が子育ては上手かも」と、夫に育児を任せたくなったことがあります。いつも一緒にいるわけでもないのに、自分の子どもの取る行動やその理由などをよく理解していて、年齢に関係なく一貫して冷静に対処していました。
 子ども自身の希求から一つの行為を始めたなら、止めなければいけないことは自分で止めるところに意味があるのでしょう。それなら、やり始めた事をやり終えるまで、どうするのかしばらく傍で見守る寛容さが必要です。多分、子どもに対応する時の夫の基本的な姿勢が「ワン・クッションおく」といわれる行為で、見守るための寛容さだったのです。
 「ワン・クッション」という魔法の言葉を記憶しておいて、必要な時には使いましょう。そうすることで、子どもの行動パターンや傾向が継続的に見えてくるはず。

 私自身は、3人の子どもを夫と共に育て上げましたが、初めての子どもは他の子どもとは、育て方が少し違っていたと思います。子どもだけでなく「親」も成り立てですから、経験値はゼロ。子どもの様子を見ながら、日々、一々が勉強です。そうしてしばらくして、ようやっとお互いが慣れてきます。親だけではなく、子どもも親の育て方に慣れてくれるのですから。
 子どもが何を見て、聞いて、話して、行動するのか、長い時間をかけて付き合ううちに、子どもに対する経験値が上がってきます。そうなってくると、子どもの気質を損なわずに育てようとします。子どもの気質を損なわない行為は、人格の形成と繋がります。その過程で、子どもばかりでなく親自身も、自分の人格を作り直すことになっていきます。
 
 子育ては、親も親となるよう育っていってこそ成り立つもの。

人格と性格について:
 感情面の個性は気質という先天的傾向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格とよばれる。性格とよくにた言葉に人格があるが、人格には社会的もしくは論理的な内容が含まれており、性格より範囲が広い。


2008年11月22日土曜日

鼻水


 あまりきれいな表現でなくて、ごめんなさい。ナルちゃんが鼻水をたらしました。

 数日前から、神戸も木枯らしが吹いて、空気にも本格的な冬のにおいを感じます。毎週1回、ひ孫のナルちゃんちへお邪魔するのが楽しみな実家の母。つい最近、そのナルちゃんが鼻水をたらしていたらしく、久しぶりに訪れた実家で、その話題で盛り上がりました。母は「鼻水」が気になって仕方がありません。これから冬が厳しくなっていきますから、風邪を引かさないかというのが心配らしい。姪に「寝床が悪かったのかなあ」で始まり、ナルちゃんの着る物や暖の取らせ方など、いろいろ知恵を授けたいらしい。姪のまわりには、子育てを経験した女性は母を除いて私しかいませんので、つい「いくら完璧と思っていても、鼻水をたらす時はたらすし、風邪を引く時は引きます。その程度で身体を慣らしておくのは、かえって必要かもね。」と、つい口に出してしまいました。
 ナルちゃんですが、まだ2、3歩あるく程度で、今は家の中にいることが多い子です。あと2年もすると幼稚園へ行くのでしょうが、そこは集団で生活する場です。そうなると否も応もありません。病気に限らず、他の子どもからいろいろな影響を受ける環境が待っています。

 姪の住まいは最近建てられたばかりのマンションで、その構造は、母が私達姉妹を育てた頃の住宅とはまったく機能がちがいます。気が付いただけでも、建物玄関口のセキュリティシステムと2人の警備員が24時間勤務、室内は広々としていて、機密性が高く、フローリングの床は暖房機能付き、お湯はセントラル形式の瞬間湯沸しなど、普通に暮らす人たちの条件を十二分に満たしているように思います。寝具も羽根やら羽毛やらで出来た布団にくるまれ、それでも鼻水が出るのは、寝ている間に布団を蹴飛ばしてゴロゴロするからでしょう。風邪が心配なら、しっかりした生地の寝巻きでも着せたらすむ程度のこと。「お母さん覚えてる?私達が小さい頃は、あってもせいぜい湯たんぽで、暖房機器がないからあの冷たいシーツが温まるまで大変な思いをしながら寝てたわ。それでも、風邪なんてほとんど引かなかったし、そのおかげかどうかは分からないけど、この年になってもめったに引かないわよ。」
 そんな話をしていると、変な方向へどんどん話題がそれます。学校へ行っている頃は、「女の子はスカートでストッキングもはかせてもらえなかったし、ごわごわするから制服の中にセーターも着れなかった」とか、「丈の長いコートも禁止で、寒さに震えた」などなど。寒い思いをしたことは覚えているのですが、風邪を引いたことがあるかどうかは、記憶にないのです。専門家ではありませんが、私達は多分、身体自体が体温調整していたのではないでしょうか。 
 母にすればたかが「鼻水」の話をしているつもりでしょうが、私がどんどん知ったふうな口を利くことで、収拾がつかなくなってきました。私も母も、自分達の育った時代を振り返ってのやりとりです。今の時代は住環境すら私達のそれとは違うのですから、姪自身の育て方を体得したほうが、ナルちゃんのためにはいいんじゃないでしょうか。ナルちゃんに「よくない経験はさせない」ことが、本当にナルちゃんにとっていい事かどうかは、その問題によっては疑問です。家で出来る経験はなるべくたくさんさせることで、新しい環境にソフトランディングできるはずだと思うのです。
 
 私自身の子育てを振り返ってみると、海外での子育てだったため、夫を除いて母のようなアドバイスをする人が、身の回りにまったくいませんでした。情報も経験もないことが反って、子どもに教えられることになり、親として育てられてきたのだと感じます。姪は今、ナルちゃんの様子を見ながら、一緒に育っている途中なのですから、そばで見守ることが寛容というもの。私が母に一つ言えることは、子どもが違えば親も違うように、子育ては人それぞれに違うはず。それさえ分かっていれば、理解してもらえると思うのです。

 それでも「理屈はいいから。ナルちゃんが鼻水をたらさないような方法を考えてあげないと」と、一蹴されました。私は母からすると、まだまだ「洟垂れ(こぞう)」のようです。

 

2008年11月17日月曜日

ロボット革命


 私の価値観を大きく変えた「ロボット革命」という番組がありました。

 我が家にはテレビがないので、久しぶりに母の家で日本の番組を見ました。そのテレビを見て思い出したことがあります。15年くらい前の話なんですが。その当時、週末になると日本語の教育という名目で、子ども達と一緒に貸しビデオを見ていました。その一つに「NHK特集・ロボット革命、一体今なにが?(記憶違いかもしれません)」があり、センセーショナルな題名だというだけでなんとなく借りたのです。見終わったとたん、頭の中は「あかんやん、想像できへんわ」という声で一杯でした。将来、一体このロボットは、世の中でどんな役目を果たすの?と。
 私の世代で「鉄腕アトム」を知らない人はあまりいないでしょう?この番組は、ある大学でのロボット作りを「革命」として、アトムの実現を予想させるような内容になっていたのです。対象物を1秒で捕らえられる目を持ち、まだひざを曲げるまでには至らずとも階段を上ったり、近い将来には走ることも可能なことを示唆する歩行するロボット。バッテリーさえ縮小化が実現すれば、人間と変わらない能力を持つロボットの実現も夢ではない、と言っていたのです。そして3年前、私はホンダのASIMOのデビューを目にしました。
 この番組を見た意味は大きく、それまでの私の子育ての考え方を変えさせました。

 かつて「アポロ11号月面着陸」という歴史的な出来事が、日本のテレビでも放映されたのを、覚えていらっしゃいますか。私も家族と一緒に、ニール・アームストロング船長が月面に第一歩を踏み出した映像を見ていたんですが、母が突然、「これ、作りもんちがうの?」とおっしゃった(!)。家族からあっけにとられた目で見られて、冗談だと言い訳していましたが。母にそう言わせるほどの「信じられない」出来事だったのです。なにせ、一生涯でただ1回、プロペラ時代のYS11に乗っただけで大騒ぎした人ですから。
 このアポロ宇宙船から40年たったASIMOの登場まで、世の中の科学的な変革は至るところに見られます。コンピュータという魔法の機器の出現は最たるものです。コンピュータが現代社会で果たしている役割は大きく、これがない生活は想像もつきません。ある日、水中でテニスをしているコマーシャルを見て、「水の中でもすごいスマッシュ打ってる!」と言いましたら、「お母さん、それCG(computer graphics)だから」と言うではありませんか。その頃、CGという言葉もコンピュータが作り出す虚像だということも、子ども達に教えられるまで知りませんでした。それがあまりにも本物らしく作られていたために、素晴らしいと感じるより反って、ちょっと怖いなあと思ったものです。
 将来は、ロボットもこれと同じように、人間社会に不可欠な物になるのでしょうか。そうすると、人と人との間の共存ばかりでなく、ロボットとの共存が謳われる時代が来ないとも限らないということです。まるで、小さい頃に読んだマンガの世界が、日々、現実化していくのを実感します。これらを身近にしながら育つ子ども達に、将来、一体どのような影響を与えていくのでしょうね。
 技術ばかりでなく経済の世界でも、庶民の感覚とはかけ離れたことが、私達のまわりで頻繁に起こっています。それらすべてを把握することは難しい時代です。40年前の母の姿は、私には「世の中の動きが見えていない」状態に写りましたが、現在の私がまるでその当時の母のようで、それをはっきり自覚しています。
 
 この「ロボット革命」を見るまでは、私の過去の経験や価値観からイメージされた子育てをしていたのだろうと思います。そして、それを知らず知らずのうちに、そのまま子どもに移譲していたようです。私の価値観は、私が生きている時代の価値観で、子どもの未来の時代には何の役にも立ちません。価値観そのものを分け与えるよりも、どんな時代や社会に生きようと、「世の中を見渡すアンテナを立て、虚実を見分ける判断力を身につけ、どんなことにも自分で対応する」ような、こども達自身の価値観を培えるようにすることこそ大切。そう考えるきっかけとなったこの番組は、私のバイブルの一つです。

 

2008年11月16日日曜日

言葉づかい


 言葉づかいって、大切ですよね。

 今年2度目の旅行で、しばらくこちらを留守にしていました。留守にする前、姪の子どもが無事、満1歳の誕生日を迎えたのですが、たまたま夫も日本滞在中で、かわいい盛りのナルちゃんと楽しい1日を過ごしました。それはもう、愛らしい顔で笑うし、やんちゃはするしで、後期高齢者の親族のハートをノック・アウト。そのナルちゃんを独り占めして、うちの旦那様は何を思ったのか、繰り返し"one, two, three・・・"とカウントしながら、指の折り方をまねさせるんです。教えることが大好きなんですよ。でも、なんで英語なの?日本語でいいと思うんだけど。さあ、ナルちゃんもそろそろ、言葉を覚え始めます。

 わが夫は娘達には、厳しく家庭内での英語を禁じ、日本語の使用を徹底させたんです。その子ども達ですが、家庭での日本語教育だけではなく、現地校が休みの土曜日には補習校へ行かされ、勉強させられたおかげか、語学力は「ハイブリット」だと自称する域に達したようです。それに比べ、私の英語のほうは子どもの日本語のようには上達しないで、日本語だけはいまだに上手(?)に使えるようです。会話するのも恥ずかしいレベルの英語力なのですが、もともとおしゃべり好きですから、英語力アップのいいチャンスとばかりに、いろんな人にあれこれ話しかけます。私は日本で習った程度の英語しか知りませんから、「今日は、語彙や文法までしっかり、きちんとしゃべれたやん」なんて、心の中で密かに自画自賛します。そんな私に娘達は、日本では習わないような本場(?)の英語教育を授けてくれること、度々です。
 娘達曰く、「学校で、話したり書いたりする言葉は、否定的より肯定的な表現を使うようにと教えられてるから、アメリカ人を相手にする時は気をつけたほうがいいよ」と。日ごろからポジティブな言葉を使う習慣は、ポジティブな思考を養うためのトレーニング?
 私の使った英語の悪い例として、子どもの友達に"You had better use ・・・"と「箸よりナイフを勧めた」つもりだったのですが、それは相手には強制や押し付けになる表現だから、気をつけたほうがいいらしい。うーん、こんなことは日本では習わなかったよね。

 正しい語彙や文法の使い方だけで話す英語は、言葉のツールとしては使えたのでしょう。ところがそれが、人に受け入れられる話し方かどうかという視点から考えると、これは別の問題。これって、日本もアメリカもない、とても大切な教えかもしれません。娘に指摘されなくても分かっていたはずです。「言葉遣いについて分かったつもりになっていても、それが出来ることはまた別問題だった」という話でした。