2008年12月5日金曜日

はじめてのおつかい?

  
  昨日は30年ぶりに、「はじめてのおつかい」らしき経験をしました。
 
 以前、「追跡」という番組の中に、「はじめてのおつかい」というのがありました。番組が終了したいまでも、これだけは特集として放映されるほどの人気らしい。子どもが生まれて初めて、お母さんの代わりに「おつかい」を果たすというものなんですが、その番組の概要を調べてみると、次のような記述がありました。
 おつかいの中で様々に発生するトラブルなどを通して、子供の自立を応援するだけにとどまらず、親子関係のあり方や教育におけるあり方などを視聴者に改めて考える機会も提供する。子供達の奮闘ぶりには、毎回ゲストも涙する人気番組。親から離れると、泣き出す子供がいたり、買うものを間違えたり、個数を間違えたり、兄弟げんかが必ず起こったり、買い物が出来なくて泣く所も見どころ」

<はじめてのおつかい>
 高校の頃の私に家で数学を教えてくださった先生が、「英語好きが集まった」とおっしゃるグループで、「英会話」の練習を続けられています。先生から、「そのグループの皆にアメリカの話を聞かせて」と言われていました。
<様々に発生するトラブルなど
 具体的な話になってみると、「英語でやってほしい」というメール。desktop(卓上のPC)の前で、冷や汗物の変な予感が。恩師からの「お申し出(おつかい)」ですが、私の英会話は小学生以下、プレゼンも一人でどうかなるかしら?という程度です。率直に「先生、日本語にしましょうよ」と、懇願(!)メールで返信。
 
<子供の自立を応援するだけにとどまらず、親子関係のあり方や教育におけるあり方などを視聴者に改めて考える機会も提供する。
 ここで、夫の話へ。 
 三女が高校を卒業した時点で、「子育てが終わった後の『自分のやりたいこと』を考えなさい」と、夫が頭の痛い話をし始めたんです(!)。文字通り、母親の役割だけに拘ってきたあまり、「わたくし」となると、いざ何をしたいのかさっぱり思いつきません。そこで夫が、「アメリカに来て子育てで苦労している人のために、何か書いあげたら?」と、ある新聞の片隅に経験談を書く機会を作ってくれました。その後、夫が発行する教育情報誌や私個人のブログ・サイトを作ってくれても、「何か、ちがくない?」 不遜にもそんなことを思いながら何となく暮らし、えっ?と思えばあれから10年。
 こんな私も、興味を覚えたことは何でも試したがり、どんどん海外へも出かけたりと、若い頃はかなり行動派だったのです。それが、30年近い年月を主婦として過ごすうちに、自分ひとりで行動することにまったく馴染まなくなっていました。 こんな調子で惰性に流されながらの毎日に、突然舞い込んできた話。先生から私個人へのお話だけに、自分で決断してお返事しなければならなくなってしまいました。

<子供達の奮闘ぶり
 それからの4日間は、プレゼンの原稿作りに必死。横で「何してるの?そんなの要らないよ。」という人もいるし。「あなたは慣れてるから 。いいからもう "Leave me alone!"」次女に添削を頼むと、「心配しなくてもお母さん英語は上手だから。100%文法があってなくても意味は通じるし、なかなか面白い内容だから大丈夫よ。」それどころじゃない状態なのに、肝心な添削は返ってこず。ほめられたのかどうなのかさっぱり分からないコメントだけで、反って不安が増長。それはもう、人を頼るな!ということでしょう。出たとこ勝負でいくしかありません。「腹をくくって舞台に臨みます」と、一人芝居をして自分を奮い立たせましたが、どうなることやら。

<親から離れると、泣き出す子供がいたり、買うものを間違えたり、個数を間違えたり、兄弟げんかが必ず起こったり、買い物が出来なくて泣く
 原稿を懐に会場へ。「私ごときの英語をお聞かせするのはいかがなものか」と、胸がドキドキします。そうは言いましても事は滑り出していますから、逃げ出すわけにはまいりません。次女がアドバイスしてくれたとおり、「かっこつけずに」ありのままにやるのみと。やはりといいますか奇跡は起こらず、何でもない語彙が思い出せずにつまずく、文法といえば案の定まちがえる、原稿を手にしていながらも読み飛ばす、といった調子で穴ぼこだらけ・・・。
 
<子供達の奮闘ぶりには、ゲストも涙する。>
 当初、夫も私について来るつもりだったようです。私から詳細を聞くと「良かった、よかった、よく頑張った。記念すべき日だね。」と、電話の向こうで喜ぶ声。今まで、何度「おつかい」を頼んでも動かなかった私に、辛抱強く付き合ってきた夫自身もこれからは、妻離れ(?)できるでしょう。
 
 30年前の渡米が、私にとってとてつもない「おつかい」だったような、そんな気がします。